2019年06月02日

文化は「創造主」たる人間のために

謎かけもどきのツイートをした
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)のかたは、
「文化を守れ、合理化のもと都合のよい悪いで
文化を変えたくない」とも言っています。

反対派(非共存派)にはよく見られる意見です。
「文化」が「伝統」になることも多いです。

合理性の観点から、都合のよい悪いで
文化や伝統を変えることがあるのは当然です。
なにを当たり前のことを否定しているのかと思います。

 

このような人は、「伝統」「文化」と言えば、
なんでも無条件で守らなければならないとでも、
思っているのかと思います。

「悪い伝統」「悪い文化」なるものがあれば、
そんなものは変えたりなくしたりする
必要があるのは当たり前のことです。


「文化」「伝統」はすべて人間がより快適に
暮らすために作られた道具、手段です。
道具や手段を人間が使うのに都合が悪くなれば、
使いやすいよう道具や手段を変えて当然です。

使いにくい道具を変えないで使うなんて
非合理的なことなど、のぞましいはずないことです。
なんのために道具を作ったのか、
その道具の存在意義がわからなくなります。


「合理化のもと都合がよい悪いで
文化を変えたくない」というのは、
人間の都合で作ったはずの道具や手段のために、
人間が存在しろということになります。

なぜに「被造物」である道具や手段の
都合に合わせて、「創造主」である人間が
存在してやらなければならないのかと思います。
「目的」と「手段」の倒錯であり、
「創造主」たる人間に対する反逆です。

posted by たんぽぽ at 22:47| Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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