10月23日エントリ以来、わたしは
「深淵な非もて」の「後藤文彦」のことを
しばらく取り上げました。
なぜ突然取り上げたのかというと、
前のエントリでご紹介した三春充希氏の
記事を見たからにほかならないです。
「遊びはどこへ」
ふたりとも「子ども時代は手放しで
すばらしかった」という趣旨ですが、
その回想に対する構えかたが好対照的、
ということが強い印象を与えます。
すでに少しお話しましたが、
三春充希氏は「子ども時代の回想」を、
ずっと客観視しています。
その上で社会全体の利益と結びつけた、
現実に足のついた主張をします。
これはひたすら後ろ向きで、
みずからを客観視することもなく、
自己中心的な発想に向かう
「後藤文彦」と、大きく異なることです。
「同じ子ども時代のノスタルジーから
出発しても、これくらい違った
姿勢になれるのか」と、わたしは
しばし感嘆したのでした。
2022年10月27日
子ども時代の回想・対照的な姿勢
posted by たんぽぽ at 21:53
"子ども時代の回想・対照的な姿勢"へのコメント
コメントを書く