2022年03月23日

社会の当たり前を当たり前と思わない

3月19日エントリでご紹介した
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)ですが、
「日本は夫婦同姓があたりまえだから、
日本で育てば夫婦同姓をあたりまえと
思うはず」と言いたいのでしょう。

 

選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
日本で「あたりまえ」とされることを
あたりまえと思うことを
みじんにも疑わない人たちなのでしょう。

それゆえ彼ら反対派(非共存派)たちは
夫婦同姓の強制を「あたりまえ」と
信じて疑わないのでしょう。

そしてそれ以上はなにも考えないわけです。
それゆえ「なぜ夫婦同姓でなければ
ならないのか?」と訊かれても、
理由を答えられなくなります。


世の中には日本で育っても、
日本で「あたりまえ」とされることを
あたりまえと思わないかたは、
いくらでもいると思います。

それくらいには自分が生活する
社会や国を客観視できるようには
なりたいものです。



どのような状況に置かれると
社会の「あたりまえ」を「あたりまえ」と
思わなくなるかはですが、ここでは
ひとつのパターンを挙げておきます。

それは社会の「あたりまえ」によって
自分が不利益をこうむっている場合です。
そうなると本当にこれでよいのかと、
自分で考え疑問を持つように
なることもあるでしょう。
posted by たんぽぽ at 23:05
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