玉木雄一郎を「センスがない」とdisった
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)に、
わたしはツイッターで反論しました。
選択的夫婦別姓は「多様性」の典型で、
家族・ジェンダー問題に注目するのは
とてもセンスのあることだという、
11月26日エントリと同じ趣旨のことです。
https://t.co/NbmsitlQBz 選択的夫婦別姓は「多様性」という観点からは典型的な課題だと思います。家族やジェンダーに関することはわきに押しやられがちな中、選択的夫婦別姓に注目するのは、とてもセンスのあることだと思います
— たんぽぽ (@pissenlit_10) 2019年11月17日
そうしたらこの反対派(非共存派)は、
「多様性の観点から自分の意見を尊重しろ」
などと開き直ったようなことを言ってきました。
さらにこの反対派は、自分の意見に反論することを
「思想良心の自由に反するから多様性と
逆の考えかただ」とも言っています。
「多様性」という観点から私の意見も尊重していただけますと幸いです。
— 馬造 (@umanomiyatsuko) 2019年11月17日
思想良心の自由という基本的人権を認めないのは「多様性」とは逆の考え方です。
— 馬造 (@umanomiyatsuko) 2019年11月17日
「多様性の尊重=異なる意見を批判しない」ではないです。
異なる意見がおかしければそれは批判する
必要のあることだし、批判したところで
多様性を尊重しないことにはならないです。
「思想良心の自由=批判されない自由」でもないです。
よってこの反対派の意見を批判したところで、
思想良心の自由を認めないことにはならないし、
多様性と逆の考えでもないです。
批判されて都合が悪くなると、
多様性や思想の自由を盾にとって
自分への批判を封じようとする人はよくいます。
「とんでも」意見やデマ、差別的言説、
根拠のない教条的決めつけをする人ほど、
このやりかたを使う傾向が強いと思います。
彼らの主張は事実や根拠をもって
実証できないので、批判されても反論ができず、
批判者をだまらせる以外に方法がないからです。
最初のツイートの選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)のような人がいるから
「多様性はならずものの最後のとりで」、
「思想の自由はならずものの最後のとりで」と
言われることになるのでしょう。