持ち出した「ボクの神聖なID」のかたは、
「夫婦同姓は女大学の家族に関する
道徳の象徴だ」などと主張しています。
6月7日エントリでは、そんな江戸時代の
因習的な道徳を、現代のわたしたちが
守る理由がわからない、というお話をしました。
「「女大学」の道徳規範が結婚の意義?」
その前に本当に、女大学の家族に関する道徳は、
夫婦同姓を象徴としたのか、という疑問があります。
江戸時代から明治初期にかけて、女大学という女子向け教育本がベストセラーになりましたが、その内容は「妻は夫の家に入り、夫に尽くす事」というような内容が道徳規範として挙げられています。
— 無式MT (@MxxTxxxx) 2019年5月16日
そういった美徳の象徴の夫婦同姓を壊すことは、結婚の意義自体を破壊する事と同じです
「女大学」の本文を掲載したり、
内容について解説したサイトはいくつかあります。
「女は夫の家に入り、夫の家に従う」という
男性中心の家族観を説いてはいます。
「江戸時代女子の心得とは?女大学から紐解こう」
「女大学」
「江戸時代に存在した教育本 「女大学」ってなに?」
これらを見たかぎりでは、かかる男性中心の
家族観の象徴として夫婦同姓がある
というような記述は見つからないです。
女大学と夫婦同姓の関係を調べようと思って、
「女大学」+「夫婦同姓」や
「女大学」+「道徳規範」+「象徴」+「夫婦同姓」
といった検索語で検索しても、話題にしている
サイトがぜんぜん出てこないです。
「夫婦同姓は女大学における道徳の象徴」なんて、
だれも言っていないということです。
江戸時代は「苗字」と「氏(うじ)」
「姓(かばね)」が別概念として区別されていて、
用いるシチュエーションも違っていました。
よって「夫婦同姓」の「姓」が指すものはなにかを
はっきりさせる必要がありそうです。
「夫婦別姓4部作」
「名字の歴史と夫婦別姓」
「氏姓」は天皇からさずかる名前で、
「氏」が一族の名前、「姓」は役職を表しました。
江戸時代のサムライたちは、朝廷との関係性を
示すときは「氏姓」を名乗りました。
「夫婦同姓」の「姓」が「かばね」なら、
役職は結婚によって変わるものではないでしょうから、
最初の反対派(非共存派)が言いたいのは、
「夫婦同姓(かばね)」ではないだろうと思います。
ちょっと調べると「氏(うじ)」のことを
「姓(せい)」と言うこともあることがわかります。
「かばね」と紛らわしいときは、
「本姓(ほんせい)」と言うこともあります。
最初の反対派(非共存派)が言いたいのは、
「夫婦同本姓(ほんせい)」のことでしょうか?
江戸時代の武家は女性は結婚しても
将来の氏(うじ)を名乗りました。
「姓」が「本姓」なら「夫婦別姓」になります。
「苗字/名字」は平安時代の後期に現れた
サムライたちが、自分たちの一族の
名前として名乗ったものです。
江戸時代のサムライたちは、ふだんは公的にも
私的にも苗字を名乗っていました。
現代のわたしたちは、「氏(し)姓(せい)」と
「苗字」と区別せず、同じものとしています。
最初の反対派が言っている「夫婦同姓」とは、
「夫婦同苗字」のことでしょうか?
江戸時代の家族は男性中心の「家」が単位で、
女性は結婚すると夫の「家」に入ることになります。
「苗字」は一族、すなわち「家」の名前ですから、
結婚した女性は、自分が入った「家」の
名前である夫の苗字を名乗って
「夫婦同苗字」だったのかもしれないです。
(このあたりについて、はっきりわかる
資料が見つからなかったです。
ご存知のかたがいたら教えてください。)
江戸時代の庶民のほとんどは、
苗字を名乗ることができなかったのでした。
江戸時代の身分登録である「宗門人別帳」にも、
庶民は苗字を記載しませんでした。
それゆえ庶民の女性は結婚後の苗字は
どうなったかを示す資料は存在せず、
「夫婦同苗字」「夫婦別苗字」かは、
判断のしようがないことになります。
「女大学」は庶民全体も対象読者であり、
サムライだけが対象ではないです。
想定している読者は苗字を名乗らないのに、
夫婦で同じ苗字とすることを、
自分たちが説く道徳の象徴にするなんて、
あるのだろうかと思います。