「四条烏丸(旧:もも281)」さん、あなたでしょう?
もっと正確にはあなたの場合「ネット」もなくて、
「ツイッターがすべて」と言ったほうがいいでしょう。
他人を誹謗中傷するときは、自分がいちばん言われたくないことを
無意識のうちに選ぶという心理があります。
「四条烏丸」もそれにあてはまるのかもしれないです。
たんぽぽはツイッターやネットが全てみたいだから。現実の世界で努力されないのかな?悲しい人生です
— 四条烏丸 (@nanaarek20) 2018年10月23日
「四条烏丸」は「過激な推進派の例を出せ」と言われて、
ツイッターしか出せない「ツイッター弁慶」です。
「ツイッターではなくもっと広い世界から例を出せ」と
言われても、やはりツイッターしか例を出せないです。
「四条烏丸」は「ツイッターがすべて」だからでしょう。
「ツイッターだけが世界なのか?」
「ツイッターだけが世界なのか?(2)」
ツイッターに関しては「四条烏丸」が「過激」と
言ったことと同程度かそれ以上のことを、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)はしています。
そのような彼ら反対派が「過激」と言われることはないです。
「四条烏丸」は「推進派は過激」なんて言って、
なにを被害妄想に取り憑かれているのかと思います。
「実は自分も規約違反していた」
反対派(非共存派)は国会議員が部会で恫喝まがいの
議論をしたり、市民団体が推進派議員の事務所に
大量に攻撃的な内容のファックスを送ったり、
署名の数をごまかして圧力をかけたりしています。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)こそ
現実世界で圧倒的に過激なことをしていると思います。
「真に攻撃的で過激なのは反対派」
「過激な選択的夫婦別姓の反対派」
「四条烏丸」はこうした反対派(非共存派)による
現実世界での過激行為は眼に入らないみたいです。
それでツイッターでの推進派の発言ばかり
取りざたするのは、「四条烏丸」はそれだけ
「ツイッターがすべて」になっているからだと言えます。
「四条烏丸」は「選択的夫婦別姓なんて
ネットで一部の人が主張しているだけ」
「本当に必要なら推進派は政治家に直接抗議するはず」
などと言ったことがあります。
「推進派の活動を知らない反対派」
選択的夫婦別姓の推進派のかたたちは
現実世界で議員を囲んでの院内集会を開いたり、
個別に議員と会ったり手紙を出したりして
コンタクトをとるといった活動をしています。
サイボウズ社長の青野慶久氏らによる提訴を始め、
夫婦別姓訴訟が現時点で4件審理中です。
夫婦別姓を実践なさっているかたが、
メディアの取材を受けて記事になることもあります。
「過激な選択的夫婦別姓推進派はだれ?」
「四条烏丸」はこれら選択的夫婦別姓の推進派の
現実世界における活動も眼に入らないということです。
「四条烏丸」が推進派を見かけるのは
おそらくツイッターだけだろうと思われます。
「四条烏丸」にとって「一部の推進派がツイッターで
騒いでいるだけ」に見えるのは、自分がツイッターでしか
推進派を知らないからであり、つまり「四条烏丸」は
「ツイッターがすべて」であるということだと言えます。
東京医科大学で点数操作による女子合格者の
人数抑制が発覚したとき、「フェミニズムはこの件を
最大限利用する」などと「四条烏丸」は言ったのでした。
「東京医科大・フェミニズムが利用?」
フェミニズムは具体的にどう利用するのかと
わたしはお尋ねしたのですが、「ツイッターを見ればわかる」
としか「四条烏丸」は言わなかったのでした。
「フェミニストもツイッターだけしか知らないらしい」
「四条烏丸」はツイッターしか例示ができないのは、
フェニミストもツイッターでしか見ないからだと思います。
つまり「ツイッターがすべて」ということです。
「四条烏丸」はツイッターに関する数値に
異様にこだわることがあります。
「いいね」やリツイートがいくつついたとか、
何年やっているとか、何件ツイートしたとかです。
「ツイッターの数値に対する人一倍のこだわり」
「四条烏丸」がツイッターの数値に対して
人一倍関心が強いのも、それだけ「ツイッターがすべて」
になっているからではないかと思います。