「今の社会は権利を要求しすぎている」と主張する、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)です。
このような主張は、選択的夫婦別姓問題にかぎらず、
一般に他者の権利を抑圧したい人に、よく見られると思います。
夫婦別姓にした時の行政システムの改修予算はどこから出るのでしょうか?
— 早蕨 ←(o_o)改名しました (@ame_kutuzure_) 2018年6月16日
増税ですか?
権利を求めるなら其れ相応の義務を果たすべきです
いまの社会は権利を求めすぎていると思います
権利あるいは自由には自己責任が伴うということを多くの人は思い出すべきだと思うのです
「いまの社会は権利を求めすぎている」というのは、
どのような事実を指していうのかと思います。
どこを見ても、求めて当然の権利を
求めている人たちしかいないと思います。
権利を求める人が多すぎると思ったら、
いまの社会が権利を認めなさすぎなのだと思います。
一刻も早く、ひとりでの多くの人が権利を
認められる社会が実現するよう、尽力したいです。
選択的夫婦別姓は1996年に法制審議会の答申が出てから
22年経過していますが、いまだに放置状態です。
国連女子差別撤廃委員会からも、選択的夫婦別姓を
実現するよう繰り返し勧告を受けています。
「民法改正・国連の勧告の歴史」
2018年の現在、世界のほとんどの国で
選択的夫婦別姓は認められ、夫婦同姓が強制されるのは、
ほとんど日本だけとなっています。
「夫婦別姓・世界各国の状況は?」
こうした現状を見れば、選択的夫婦別姓の実現なんて、
「とっくのむかしに認められてよい権利」です。
実現の遅れすぎた権利などいくら求めたところで
「権利を求めすぎている」ことはないです。
最初のツイートの人は、選択的夫婦別姓の実現に関して、
「権利を求めるなら義務を果たせ」と
「義務」を交換条件としてつきだしています。
それでしたら、選択的夫婦別姓の実現を求める人も、
そうでない人と同じように税金を払っています。
それにもかかわらず、法的な結婚が認められない状況です。
夫婦別姓をのぞむ人は「義務は果たしているのに
権利は認められない」状態だと言えます。
そんなことより「権利を与えないのに義務ばっかり
課したがる人たち」のほうを、わたしは問題にしたいです。
義務を果たさないのに権利を主張するな、みたいな物言いをしばしば目にするが、むしろ権利も保障できないような政府が、義務だけを市民に課そうとする方が異様なのである。我々に義務を課そうとするなら、まずは我々に種々の権利を保障せよというのが、基本である。
— じこぼう (@kinkuma0327) 2018年8月6日