自身の受けた性被害を訴えた伊藤詩織さんが、
ロンドンに「亡命」したお話をしました。
「セクハラ撲滅 国連で伊藤さん会見「WeToo」運動提唱」
(はてなブックマーク)
性暴力の被害者が連携する「MeToo」運動が、
日本であまり発展しない現状について、被害女性の訴えに対する
社会からの反発が強いという指摘があります。
伊藤さんによれば、「MeToo」は日本で大きな運動に発展していない。
社会の反発を恐れる被害女性が経験を共有することを尻込みするためだ。
より具体的には、日本社会が男性中心であることや、
同調圧力の強さがあることが考えられます。
"MeToo"が日本で広がらないわけ。性的暴力、虐待被害を日本で訴えると、攻撃される、というAP記事。男性支配、同調圧力の強さが主因というトーン。 https://t.co/29OXzE3Y0d
— 和田浩明/Hiroaki Wada (@spearsden) 2018年3月3日
「オンナは黙っていろ」の人たちによるバッシングを、
社会の多数派が「オンナのことはくだらない」と考えて、
無視や黙認をすることも、ここにはあると思います。
「日本会議・ミソジニーの本質」
「オンナのことはくだらない」はまさに男性中心の思考ですし、
また「そんなくだらないことはやめておけ」という
有形無形の同調圧力が、そこにかかるということです。
性暴力の被害者の訴えに対するバッシングは、
実は英語圏でもあるということも指摘されています。
日本との違いは、英語圏では被害者の支援や
連帯をする、社会の動きが強いことです。
それゆえバッシングに対して、被害者や支援者が
対抗できるということだと思います。
セクハラや性暴力、虐待の告発、英語圏でも攻撃を受けるんだけど、それ以上に支援、連帯の動きが強いんだよな。あと、周りをあまり見ず、自分がいいと思えばどんどんやる人が目立つ用に思う。そこは見習いたい。
— 和田浩明/Hiroaki Wada (@spearsden) 2018年3月5日
わたしが思うに、ジェンダー差別的な人たち、
いわゆる「オンナは黙っていろ」の人たちは、
英語圏だけでなく、世界中どこの国にも
それなりの数いるのではないかと思います。
それは日本を含めて、おそらくどこも大差ないでしょう。
差があるのは、社会の多数派の中に、
「オンナのことはくだらない」と考える人が
多いか少ないかではないかと、わたしは想像します。
世界の多くの国では「オンナのことはくだらない」
なんて考える人は、社会の多数派の中には
それほど多くないのだろうと思います。
それゆえジェンダー差別的な言動があっても、
社会が対処できるのだと思います。
日本は「オンナのことはくだらない」と考える人が、
諸外国と比べて社会の多数派に多いのでしょう。
それゆえジェンダー差別的な言動を社会が放置するので、
ジェンダー差別が社会に蔓延するのだと思います。
レイシズムが話題になったときでも、
日本の状況を外国人にお話すると「そういうのは
わたしたちの国にもいる、だからわたしたちは協力して、
彼ら差別主義者に対処しなければならない」という
主旨の返事が来ることが相場です。
「うちの国にはそんな差別主義者はいない」とか
「そんな差別主義者がいるのは日本だけ」なんて
返事が返って来ることはない、ということです。
レイシストは世界中のどこでもそれなりの数いるし、
それは認識されているということです。
違っているのは、他国にも同様の差別主義者がいる
というお話を聞いたときの、社会の多数派の反応だと思います。
他国では上述のように、自分を含めた国際社会の
共通の課題ととらえる人が多いのでしょう。
日本人は「あの国でも差別主義者がいるのだから、
わたしたちも差別していいんじゃないか」と考えて、
自分たちが差別を放置する正当化の「口実」にする人が、
むしろ多いのではないかと思います。
差別主義者、つまり「オンナは黙っていろ」の人は、
信念を持ってそう考えていることが多いです。
よって思考がすでに固まっていて、
容易に考えを改めることはないと思います。
その意味で直接的な対処は困難と言えます。
社会一般の多数派は、それほど思考が固まっておらず、
他者の意見に聞く耳もあって、考えに流動性があります。
直接的な対処ができる人たちだと言えます。
対処可能性があるという観点からも、
また差別主義者に掣肘を加えうる存在という観点からも、
社会一般の多数派に蔓延する「オンナのことは
くだらない」という認識をどうするかを、
もっと問題にする必要があると思います。