夫婦別姓訴訟を起こすのを見て、「妻に自分の苗字に
改姓させればよかった」などと言う、
選択的夫婦別姓の反対派を見てきました。
「妻に改姓させればよかった?」
この「妻に改姓させればよかった」という考えは、
ジェンダー差別性や選択的夫婦別姓制度に関する認識以上に、
深刻な問題をはらんでいると、わたしは思います。
それは「自分が嫌なことを結婚相手に押し付ける」です。
夫婦別姓不可は“憲法違反” IT企業(サイボウズ)社長が国を提訴へhttps://t.co/4ZQKpZlep1 >そもそも妻に自分の苗字を名乗らせればよかった。自分の都合に合わなければ何でも訴える。実に身勝手この上ない。NHKも世論喚起したいのだろうが判決が出てから報道してもいい話。
— take (@ytake2) 2017年12月30日
なんでいちいち返信するかな〜
— Ryuteki (@Ryuteki5) 2017年12月31日
夫婦別姓賛成派がいるのと同じように、反対派もいるって事。
損を被った?自分がよく調べたりしないで、二つ返事でハイハイって妻のいう事聞いたからでしょ〜。俺ってベンチャーだから〜ってご満悦だったのにね〜残念でした
結婚相手というのは、愛し愛される生涯の伴侶です。
そこには多大な愛情と信頼関係が求められます。
そのような結婚相手に「自分が嫌なことを押し付ける」のは、
愛情と信頼を根底からつき崩すことになりかねないです。
「自分が嫌なことを結婚相手に押し付ける」なんて、
どうやったらこんな発想をためらいもなく出せるのか、
不思議で不可解なことだと、わたしは思います。
上記ツイートの反対派のひとりは、青野慶久氏のことを、
「実に身勝手この上ない」などとなじり飛ばしています。
この反対派こそ「実に身勝手この上ない」と思います。
単に自分がしたくないことを他人に押し付けるだけでも、
じゅうぶん身勝手すぎて人間性が疑われることです。
ましてや愛情と信頼の上に成り立つ相手に押し付けるとあれば、
なおさら人間性の欠如が疑われるというものです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
このようなことを平気で言う人が珍しくないです。
それで彼ら反対派というのは、家族や結婚生活とは
どんなものかを、ろくに知らないのではないか、
そもそも恋愛のなんたるかさえ知らないのではないか、
という疑念が生まれることになります。
「生活感」が決定的に欠如しているということです。
思うんですけどね。ネット上の別姓反対論者って、育児はもちろん、結婚や交際の経験がないのが多いんじゃないかなあ。なんか、言ってることが教条主義的で、かつ浮き世離れしてる。 https://t.co/7mkzsVWQ74
— 猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年1月3日
言っちゃいましたww または凄いお年寄り。
— 猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年1月3日
交際とか結婚とか、それ自体が〝異文化との接触〟じゃないですか。相手と対話して妥協するステップを経ることが必要。それができない/しない人は、フツーにモテないか、イエどうしの都合だけで結婚した世代しかあり得ないかな、って。
「反対派には生活感がないのではないか?」というご指摘は、私も同意です。法の定める結婚はおろか、パートナーシップを結ぶという経験そのものが、極めて希薄ではないかと。何度かその旨、ツイートしたと記憶しております。
— 猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年2月12日
選択的夫婦別姓の反対派は、その主張内容も
「日本の伝統がどうした」「中国や韓国がこうした」
「家族破壊の左翼がああした」と、おおよそ生活感のない
イデオロギーのお題目が多いです。
生活感のある人間関係とほとんど無縁なので、
こんな空疎なイデオロギーのお題目しか、
考えていられないのかもしれないです。
あるいはこんなお題目にばかり関心があるから、
生活感のある人間関係と縁がないのかもしれないです。
このあたりは「にわとりと卵」でしょうか。