リツイートされてきたものです。
精神科通院者や自殺未遂の経験者あるいは児童虐待の被害者を取材しているとき、「正しい人が怖いです」という言葉をよく聞いた。社会貢献を志す方は、この声によく耳を傾けてほしい。
— 今一生 (@conisshow) 2010, 10月 19
社会貢献をこころざすかたというのは、市民団体に所属するなどして、
社会運動にかかわっているかただろうと思います。
市民団体は思想や目的をおなじくする人たちで集まるので、
閉鎖的なサークル集団のようになりやすい体質があるのですね。
そうした環境に長くいると、外から自分たちがどう見えるかに
無頓着となり、自分の考えを顧みることがあまりなくなってきます。
それゆえ「自分たちは正義だ」という自負心が
強くなっていきやすいということです。
なので市民団体の活動にかかわっている人は、
「正しい人」におちいりやすい、ということなのだろうと思います。
社会貢献をこころざす人たちよりもっと危険なのは、
ネットの議論が好きなある種の人たちではないかと思います。
このような人たちの中には、社会貢献になることを
ほとんどしてなくて、自分が「正しい人」になることが、
そもそもの目的の人もすくなくなかったりします。
こうした人たちは、社会問題を自分が「正しい人」になるための
「ツール」か「ねた」くらいに扱っています。
自分が「正しい人」であると実感できることが大事なので、
自分の議論によってかえって悪影響が出たりしないかといった、
大局的なことは眼中にないことがほとんどです。
心に傷を負った人たちの「正しい人が怖い」という気持ちを、
彼らが顧みることはほとんどないだろうと思います。
そんな気持ちを訴えたところで、彼らは「批判されるようなことを
するのが悪い」と言うだけだろうと思います。
わたしもかかる「正しい人」が怖いと思うことはあります。
いつ彼らに「あら探し」をされるかと思うと不安になりますよ。
子どものころわたしは問題家庭だったし、心療内科に通院したこともあります。
過去のこととはいえ、ふたつ該当しています。