原因の違いについて述べたツイートがあるので、ご紹介します。
↓ミサンドリー女性が男性を忌避する原因が嫌がらせや暴力といった“迷惑な関心の持たれ方”である場合が多いのに対し、ミソジニー男性が女を嫌う理由は“女から関心を持たれない”事であったりする非対称。「私をほっといて」という女と「俺のことを構え」という男の落差は永久に埋まらないのかな…
— お魚ちゃん (@little_fish05) 2013, 10月 1
「私をほっといて」という女と「俺のことを構え」という男の落差は、
ひとえに男性が女性にアプローチするときと、女性が男性にアプローチするときの
意味合いの非対称性によるものにほかならないでしょう。
女性は通常、ストーカー、ナンパ、痴漢、性暴力、DVといった、
さまざまな男性からの脅威を意識して暮らさざるを得ないと思います。
見知らぬ男性の接近には警戒する女性も多いと思います。
中には男性から受けた性的被害が原因で、男性恐怖症になる女性もいます。
男性というのはかくも危険な存在であれば、それが原因となって、
男性に対して嫌悪感や忌避感を持つ女性も出てくると思います。
男性は女性から性的被害をうける危険を、通常は意識しないと思います。
見知らぬ女性が近づくことに対して警戒する男性もほとんどなく、
おおかたはむしろ歓迎さえするのではないかと思います。
見知らぬ異性から「一目惚れしたのでメールアドレスを教えて」と言われたとき、
女性は全員警戒してアドレスを教えなかったのですが、
男性は6割ほどが無防備にアドレスを教えた、というお話を前にしたことがあります。
これは男性が女性に接近するときと、女性が男性に接近するときの
危険性に関する非対称性を歴然と表わしていると思います。
「女性の警戒と男性の無警戒」
このような非対称性の背景には、「男は自由に女に近づいて、
その女を思い通りにしてよい」という社会通念があるのだろうと思います。
それゆえ、女性は「男は自分に危害を加える存在」として忌避感を持ち、
男性は「女が自分の思い通りにならない」と嫌悪感を持つのだと思います。
DV被害者は加害者から隔離し、被害者がどこに住んでいるのか、
加害者には絶対に知られないよう配慮します。
加害者はまた被害者に会いに行こうとして、被害者が危険だからです。
これは「私をほっといて」という女と「俺のことを構え」という男の落差が
顕著に現れるケースだと言えるでしょう。
男の「非もて」は、まさに「女から関心を持たれない」ことの一形態ですね。
「非もて」は往々にしてミソジニーを併発するのですが、
「非もて」の精神構造はまさしく、「女が自分の思い通りに
ならないことに対して、自分が被害者のように思う」というものですね。