参政党をはじめ差別活動に対するカウンタ活動は
一般の人たちから引かれるのではないかと
心配する必要はない、というお話の続き。
一連のツイートでは、「カウンタの活動は、
報道や一般市民の告知活動によって、
いずれ理解されるようになる」と言っています。
最初はカウンターの激しさに世間は驚くけど、報道や一般市民の告知活動などによって、なぜ対抗運動が起きたのか、何が批判されてるのかが伝えられ、時間が経つと理解されるようになる。サイレントマジョリティは、「どっちも騒がしいな」との思いと「そういうことか」との思い、
— mipoko (@mipoko611) August 9, 2025
これは、わたしはいささか悲観的です。
報道や一般市民からの理解は、それほど
進まないのではないか、という気がしています。
例にあげている在特会の消滅も、
裁判に負けたことが大きいと思います。
報道が在特会を熱心に批判したからとか、
一般市民の反差別に対する理解が進んだから、
というほどではないように思います。
(このあたりは、わたしが報道や一般市民を
あまり信用できなくなっている、
ということもあるかもしれないです。)
「一般市民はいずれ飽きていなくなる」
というのは、わたしもありそうだと思います。
どちらも抱きつつ、憎悪や嫉妬を煽る言説に付き合うことに、次第に疲れて飽きて行き、すーっといなくなる。憎悪や嫉妬に付き合うのって、疲れるんですよ。愚痴を聞かされるのと同じだから。
— mipoko (@mipoko611) August 9, 2025
ルサンチマンが「付き合い疲れ」を上回る人々は、残るかもしれないけど、多くはすーっといなくなると思う。
一般市民の多くは在特会のような
差別的活動を支持しているのではないでしょうし、
また被差別マイノリティのことも、
自分とは関係ないという意識だと思います。
係争している双方に対して支持も関心もない
となれば、いつまでも「お付き合い」できるだけの
気力はないだろうと思います。
カウンタの活動が起きている理由や
カウンタの人たちの問題意識を、
それほど理解しないまま興味がなくなっていく、
というのが一般市民のおおかたではないかと、
わたしは想像します。

