2024年06月01日

すべてとは言っていない、存在をしめした

5月25日エントリの続き。

「女性が改姓して男性の苗字を名乗る
慣習を守りたい人なんて見たことない」と
言っている、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の続き。

 


女性が改姓すると決まっている慣習を
守りたくて選択的夫婦別姓に
反対する人たちのサンプル2例を、
わたしはツイッターでも、この反対派
(非共存派)にご紹介しました。



そうしたら最初の反対派(非共存派)は、
「ふたりだけで全体であるかのように
語っている」などと言ってきました。


わたしはこの2例で全体がそうだとは
ぜんぜん言っていないですが?

くだんの反対派(非共存派)が、
「そんな慣習を守りたい人を
見たことがない」と言うから、
「そんな慣習を守りたい人はいる」
ことをしめしたまでです。

わたしがしめしたのは、
かかる慣習を守りたい人の「存在」です。
すべての反対派(非共存派)が、
そんな慣習を守りたいと思っていると
主張しているのではないです。


わたしが言っているのは
∃ 反対派(非共存派) s. t. 女性が改姓する慣習を守りたい
です。

くだんの反対派(非共存派)は、
∀ 反対派(非共存派) s. t. 女性が改姓する慣習を守りたい
とわたしが言っていると、言い出したわけです。

この「∃」と「∀」のすり替えは、
ある種の論客によく見られることです。


posted by たんぽぽ at 16:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やはりバカですね
Posted by イト at 2024年06月01日 16:54
話はずれますが、がんのさとしのいう公益性ってなんでしょう。
Posted by イト at 2024年06月01日 17:00
世の中には法ですらないのに「そうなっている」物事はあります。
クールビズは夏場にネクタイ着用は必要ないとして、今では一般化しました。
これは強制ではないので真夏でもネクタイ着用したい人は着用してもいいわけです。

それなのに選択的夫婦別姓はなぜ、まだ実現しないのか?
・ネクタイ着用と違って夫婦同姓は法であるから。
・ネクタイ着用は職務や経済活動の問題であって夫婦とその子供の問題ではないから。
・世界的にネクタイ以前にスーツ着用率自体が減少傾向にあるから。

などありますが、大きな違いとして姓は選択できないことです。
ここで言う「選択できない」とは、その人の服装は今日スーツにネクタイ着用でも明日は軽装とか勝手でいいわけです。
ところが夫婦別姓を選択した場合、今日は別姓、明日は同姓ということが夫婦もその子供も出来ません。
そう考えると同姓は縛りである反面、別姓も縛りであると言えます。
通常「選択」とは自由性、単発的、その場限りという概念がありますが、選択的夫婦別姓には強い制約があり「選択」という言葉が馴染まない。
何かもうひとつ別方向で論じる戦略が必要ではないかと思いますね。
Posted by ネル at 2024年06月02日 01:35
イトさん、
こちらにコメントありがとうございます。

「taku」に関しては、実例が出てくると
思わなかったので、あわてて
言い繕ったのではないかと思います。


>がんのさとしのいう公益性

わたしにもよくわからないですが、
社会的強者や既得権益者の独善的な
利益のことではないかと思います。
Posted by たんぽぽ at 2024年06月04日 23:11
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