「女性が改姓して男性の苗字を名乗る
慣習を守りたい人なんて見たことない」と
言っている、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の続き。
その慣習を守りたいと言ってる人は未だかつて見た事ないから違うんじゃないですかね。
— taku (@taku8717893011) July 10, 2023
女性が改姓すると決まっている慣習を
守りたくて選択的夫婦別姓に
反対する人たちのサンプル2例を、
わたしはツイッターでも、この反対派
(非共存派)にご紹介しました。
「選択的夫婦別姓が実現すると、妻が旧姓に戻すリスクがある」と言っている人がいます。この人は「95%の女性が夫の苗字に改姓する慣習」を守りたい人だと思います pic.twitter.com/RXn4nwOURt
— たんぽぽ (@pissenlit_10) July 12, 2023
「女性が改姓するのがあたりまえなので考えなくていい」と現状を肯定する人も、「95%の女性が夫の苗字に改姓する慣習」を守りたい人でしょう pic.twitter.com/N7Vi0V9rbn
— たんぽぽ (@pissenlit_10) July 12, 2023
そうしたら最初の反対派(非共存派)は、
「ふたりだけで全体であるかのように
語っている」などと言ってきました。
貴方は2人という人数でさぞ全体かのように語る方なんだという事を知りました。
— taku (@taku8717893011) July 12, 2023
しかも1人目の方は逆もあり得るので(夫が元の姓に戻る)
「95%の女性が男性側の姓に改姓する慣習」を守りたいからとは一概には言えない
筑後守さんのはそれだけ見るとそうですね。前後の文脈が気になるところですが。
わたしはこの2例で全体がそうだとは
ぜんぜん言っていないですが?
くだんの反対派(非共存派)が、
「そんな慣習を守りたい人を
見たことがない」と言うから、
「そんな慣習を守りたい人はいる」
ことをしめしたまでです。
わたしがしめしたのは、
かかる慣習を守りたい人の「存在」です。
すべての反対派(非共存派)が、
そんな慣習を守りたいと思っていると
主張しているのではないです。
わたしが言っているのは
∃ 反対派(非共存派) s. t. 女性が改姓する慣習を守りたい
です。
くだんの反対派(非共存派)は、
∀ 反対派(非共存派) s. t. 女性が改姓する慣習を守りたい
とわたしが言っていると、言い出したわけです。
この「∃」と「∀」のすり替えは、
ある種の論客によく見られることです。
クールビズは夏場にネクタイ着用は必要ないとして、今では一般化しました。
これは強制ではないので真夏でもネクタイ着用したい人は着用してもいいわけです。
それなのに選択的夫婦別姓はなぜ、まだ実現しないのか?
・ネクタイ着用と違って夫婦同姓は法であるから。
・ネクタイ着用は職務や経済活動の問題であって夫婦とその子供の問題ではないから。
・世界的にネクタイ以前にスーツ着用率自体が減少傾向にあるから。
などありますが、大きな違いとして姓は選択できないことです。
ここで言う「選択できない」とは、その人の服装は今日スーツにネクタイ着用でも明日は軽装とか勝手でいいわけです。
ところが夫婦別姓を選択した場合、今日は別姓、明日は同姓ということが夫婦もその子供も出来ません。
そう考えると同姓は縛りである反面、別姓も縛りであると言えます。
通常「選択」とは自由性、単発的、その場限りという概念がありますが、選択的夫婦別姓には強い制約があり「選択」という言葉が馴染まない。
何かもうひとつ別方向で論じる戦略が必要ではないかと思いますね。
こちらにコメントありがとうございます。
「taku」に関しては、実例が出てくると
思わなかったので、あわてて
言い繕ったのではないかと思います。
>がんのさとしのいう公益性
わたしにもよくわからないですが、
社会的強者や既得権益者の独善的な
利益のことではないかと思います。