「kceoy855」の考えは「男の自分は
改姓したくない」であり「夫婦同姓でないと
子どもが犠牲になる」です。
これらが同時に成り立つのなら、
「男の自分が改姓して夫婦同姓になるなら、
子どもを犠牲にするほうがまし」になります。
あなたの考えは「男の自分は改姓したくない」「夫婦同姓にしないと子どもが犠牲になる」です。これらが同時に成り立つなら、「男の自分が改姓して夫婦同姓になるくらいなら、子どもを犠牲にしたほうがまし」で、そう考えざるをえないです
— たんぽぽ (@pissenlit_10) March 6, 2024
それをわたしがツイッターで言ったら、
「そのロジックが同時に成り立つなら、
『女性に改姓させるほうがまし』であって
『子どもを犠牲にするほうがまし』ではない」と
「Kceoy855」は言ったのでした。
そもそも私の主張と全く違うので突っ込むのもあれなんですが、そのロジックが同時に成り立つなら「〜子どもを犠牲にしたほうがまし」ではなく「女性に改姓してもらうほうがまし」でしょ笑
— kceoy855 (@kceoy855) March 6, 2024
なんで別姓に飛躍してんの
ここでは「a. 男性の改姓」と
「b. 子どもの犠牲」の二者の関係が
「kceoy855」にとってどうなっているかが
問題になっています。
「c. 女性の改姓」という検討の対象に
なっていないことを、なぜに「kceoy855」は
とつぜん出すのかと思います。
「そのロジックが同時に成り立つ」なら
「a.」と「b.」だけしか出てこないはずです。
「c.」が出てくるほうがおかしいです。
「kceoy855」こそ、「なんで『c. 女性の改姓』に
飛躍しているの?」というものです。
「女性を犠牲にしている」と批判されても
ぜんぜん隠そうとしないどころか
積極的に自分から主張してきます。
「子どもより自分の世間体を優先している」と
批判されると、猛烈に反論してきて、
必死になって否定しようとしますが。