親と苗字が異なると家族のキズナを
深められるか懸念されると言っている
反対派(非共存派)ですが、
実際に懸念されるようになるのは、
思春期くらいからだと言っています。
>子供の時に別姓の親に対して家族の絆を深めていけるのかが懸念です。
— 常在 (@CombatField) February 23, 2024
幼少時に姓の違いによって愛情を感じられなくなるわけがない。愚問です。
幼少期は姓すら認識しないと思います。思春期ですね。
— 22時半のピザ男 (@man_2230m) February 23, 2024
3月2日エントリでご紹介した、
「青少年の生き方を支える『家族の絆』の
構築戦略」は、高校生と中学生が
対象ですから、ここでの回答は
まさに「思春期の意見」になります。
「家族のキズナをどうやって維持するか」
「家族のキズナ・同じ苗字は必要か?」
この調査は、「家族のキズナを深める
経験」についてお尋ねしています。
「一緒に住む」「一緒に食事する」
「一緒に遊ぶ」「一緒に会話する」が
多かったのでした。
「同じ苗字を名乗る」は家族のキズナを
深める経験のひとつではありますが、
かならずしも必要ではないし、
ほかの経験でいくらでもキズナを深められる、
というのが調査結果のしめすところです。
家族のキズナを深める上で、
親と苗字が同じであることは、
「思春期」の子どもたちにとって、
必須でも重要でもないということです。
最初の反対派(非共存派)の懸念は
まったく必要ないことがわかります。
以前、別姓であることで空港職員や学校職員から、さらには病院においてまで変な勘繰りや不当な扱いを受けたフランス人女性の記事を紹介しました。
日本でもそのような事態は起こるでしょう。その覚悟はあるのでしょうか。
逆に外部から起こされるマイナス面がより家族の結束を強めるということでしょうか。
また海外での一例は単に一例であり例外を大きくとらえるなということでしょうか。
その認識に不安が残りますね。
こちらにコメントありがとうございます。
>同じ名字じゃない限り絆を感じることができない人
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
そのように考えているのではないかと
思われる人が多いと思います。
>「思春期に親の名字の違いを意識する」というのは彼の妄想
まったく根拠がないと思いますよ。
そんな事実があれば、だれかが研究して
証明しているでしょうし、それを反対派
(非共存派)が勝ち誇ったように
しめしていると思います。
幼少のうちは苗字の概念さえわからないと
反論されるので、「思春期」と思いつきで、
ピザの人は言ったものと思います。