2023年09月22日

反対派の倫理と感情抑制の欠如と思う?

9月21日エントリの続き。

「ほづみん」は「推進派の論理性、
倫理、感情抑制、想像力の欠如を
見たから選択的夫婦別姓の反対派
(非共存派)になった」と言っています。

 


それなら反対派(非共存派)の論理性、
倫理、感情抑制、想像力の欠如を見たら、
「ほづみん」はどうするのかを、
知りたいところです。

反対派(非共存派)の論理性その他の
欠如がはなはだしければ、「ほづみん」は
選択的夫婦別姓に賛成するのでしょう。

わたしは反対派(非共存派)の
論理性その他が欠如していると思われる
サンプルを、「ほづみん」にしめして
倫理や感情抑制などが欠如しているか
聞くことにしました。


選択的夫婦別姓を求めるかたに向かって
「死ね死ね死ね...」とののしる
反対派(非共存派)がいます。

この反対派(非共存派)は倫理性や
感情抑制が欠如していると、
「ほづみん」は考えるでしょうか?

「攻撃的な夫婦別姓反対派」



「選択的夫婦別姓をのぞむのは
あたまのいかれた嫁」と言っている
反対派(非共存派)がいます。

この反対派(非共存派)は倫理性や
感情抑制が欠如していると、
「ほづみん」は考えるでしょうか?

「夫婦別姓希望はあたまがいかれている?」



「ほづみん」は「これらのふたりとは
接したことがないが、もし接していたら
徹底的に批判する」と答えました。


「あたまのいかれた嫁」「死ね死ね」を、
「ほづみん」は批判はするようです。
そしてお答えはそれだけのようです。

「あたまのいかれた嫁」「死ね死ね」は
倫理や感情抑制の欠如だと思うかという、
わたしからの肝心のお尋ねには、
「ほづみん」は答えていないです。


「あたまのいかれた嫁」「死ね死ね」は
批判はするけれど、倫理と感情抑制が
欠如しているから選択的夫婦別姓に
賛成する、とまでは思わないのですね?と、
わたしはもう一度「ほづみん」にお尋ねしました。



「ほづみん」は「罵倒なら自分も
さんざんに受けた」とか、「いまの自分は
自身の考えにもとづいて行動している」と
言ってきました。


倫理や感情抑制の欠如だと思うか?
というお尋ねに対して「罵倒なら
自分も受けた」「自身の考えにもとづいて
行動している」では答えにならないです。

いったいなにを言い出すのかと思います。
「ほづみん」はまともに文章が読めるのか、
疑わしくなるレベルです。

まんなかのツイートの「マージする作業」
うんぬんにいたっては、ここでの
お尋ねとなんの関係もないです。
「ほづみん」は「論点そらし」に
走り出したもののようです。


posted by たんぽぽ at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
非共存派は論理的でないよい例ですね。
Posted by 改姓した男の人 at 2023年09月23日 00:51
まったくです。

「ほづみん」は自分にはまったく
論理性がないのに、「論理性」について
やたら語るのは「なにをかいわんや」です。

ようはわたしのしめした例が
反対派(非共存派)の倫理や感情抑制の
欠如かどうか言いたくないので、
逃げ回っているのでしょうけれど。
Posted by たんぽぽ at 2023年09月23日 22:52
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