2023年05月28日

たくさんいることを証明したいのでは?

5月27日エントリの続き。

「菊池誠」を擁護するべく「安倍晋三が
銃撃されたのを喜んだ人ならいる」と言って、
島田雅彦氏をあげたかたの続き。

 
島田雅彦氏ひとりだけなら、
あふれるほどたくさんいる」とは言わないと、
わたしはそこに反論したのでした。

「菊池誠」を擁護するかたは、
「島田雅彦氏は作家で大学教授で
自分の番組をネット配信しているので、
影響力はあると考えられる」と言ってきました。


「社会的影響力があって賛同をする人が
多いと思われる人物をあげているから
『ひとりだけ』ではない」という意味で、
島田雅彦氏をあげたのですね。

それならこの擁護者はやはり
「安倍晋三の銃撃死をよろこんだ人は
たくさんいる」ことを証明したい
のではないかと思います。


この「菊池誠」の擁護者は
「あふれるほとたくさんいる」と
はっきりことばで言ってはいないです。

それでも最後の「それでも一人扱い?」は、
「ひとりだけ」に疑問を
呈していることはあきらかです。

これは「影響を受けた人は多数いるの
ではないか?」と言いたいのであり、
しめしたいのは「たくさんいる」ことだと、
考えざるをえないです。



付記1:

「けっこう影響力あるんじゃないの?」
「それでもひとり扱い?」は、
ながぴいさんが証明することだと思います。

「島田雅彦氏に賛同した人はたくさん
いるのですか?」と、わたしからながぴいさんに
お尋ねしている文脈でしょう?


付記2:

島田雅彦氏に社会的影響力があるだけでは、
「あふれるほどたくさんいる」ことの
証明としてはふじゅうぶんです。
社会的影響力のある人の言動でも、
大勢から賛同も共感も
得られないことはあるからです。

島田雅彦氏の当該発言に共鳴して、
安倍晋三の銃撃に対して喜びを表明したり、
銃撃犯を英雄視する人が一定数いることを、
証明する必要があるでしょう。


posted by たんぽぽ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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