「安倍晋三の銃撃犯を英雄視する人たちが
たくさんいる」と言う「菊池誠」の
擁護をするかたに、わたしはツイッターでも
直接コメントをしました。
5月13日エントリでお話したことと、
同じような内容です。
安倍晋三の銃撃をよろこんだのは、島田雅彦氏ひとりだけですか? それなら「あふれるほどたくさんいる」とは言わないでしょう。「たまたまおかしなことを言う人がいた」だと思います
— たんぽぽ (@pissenlit_10) May 13, 2023
一例をあげただけでは「たくさんいる」ことの証明にはならない。同種の主張が顕在化していることくらいは、示す必要がある
— たんぽぽ (@pissenlit_10) May 13, 2023
そうしたら、擁護するかたは、
「自分は一例をあげただけだ、
あふれるほどたくさんいるとはひとことも
言っていない」と言ってきました。
はい、私は一例を挙げただけですけど、そんなことで今更私に絡んできて何になるんです?
— ながぴい (@Nagapiii) May 13, 2023
「あふれるほどたくさんいる」などとわたしゃ一言も言ってないし、一例でもあったほうがいいでしょ?
— ながぴい (@Nagapiii) May 13, 2023
一例だったら挙げちゃあかんの?
この話ぶりだと、一例をあげただけでは
たくさんいることの証明にならないことは、
認識しているようです。
証明にならないとわかっているなら、
一例をあげることで、なにをしたかったのか、
という疑問が出てきます。
「菊池誠」を擁護したかたは
「一例だったら挙げちゃあかんの?」と
訊いてもいます。
コンテキストは「あふれるほど
たくさんいる」と主張する人がいて、
たくさんいるなら根拠を出せと
お尋ねされているところです。
そうしたところへ一例でも出せば、
「『菊池誠』の言うとおり、あふれるほど
たくさんいるのだな」と第三者に対して
印象操作することになります。
印象操作はよくないですよ。
付記1:
「菊池誠」を擁護するかたは
「今更私に絡んできて」と言っています。
ツイッターは古いツイートも削除されず
公開され続けますから、どれだけ時間が
経過しても、だれでも閲覧して
意見を述べることができます。
それが問題だというなら、
古いツイートを自主的に削除するか、
返信や閲覧ができないよう
仕様を変えることをツイッターに
要望することだと思います。
付記2:
「菊池誠」を擁護するかたは、
「そんなことで何になるんです?」
とも言っています。
「菊池誠」の言うとおりあふれるほど
たくさんいるのだなと印象操作する
ツイートが、ずっと公開されています。
となれば、いつかだれかが
ネットのリテラシーの維持のために、
必要な情報を提供するべく
反証する必要があるというものです。