「安倍晋三の銃撃犯を英雄視する
人たちがネットの左派にたくさんいる」
という、「菊池誠」の続き。
たしかに報道にはなかったかもね。言った左派はいたけどね。
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) April 18, 2023
都合が悪いと歴史改竄に走るわけだけど、「英雄視してると思われるとヤバい」ということに気づいたのは進歩かもしれんね https://t.co/s6Gexzz1OC
ネットメディアまで含めれば、実例はある。普通のマスメディアにはさすがにないだろう。
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) April 17, 2023
英雄視した左派はたくさんいる https://t.co/sSsdx7cdpn
ネットに溢れているから自分でさがせ https://t.co/Wwpv3059I7
— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) April 19, 2023
「菊池誠」は「あふれている」
「たくさんいる」と豪語しながら、
その根拠を訊かれて「自分で探せ」は
おそまつだと思います。
「山上徹也を英雄視する人たちがいる」と
言うなら、存在を主張するほうが
その存在をしめすのは議論の原則です。
あふれるほどたくさんいるなら
すぐしめせそうなものです。
それを自分で探さず、批判者に探させる
というのもおかしなことです。
今回の「菊池誠」のやっていることは
「ネットのだめな論客」の典型、
そこらへんのネトウヨレベルです。
付記:
「菊池誠」のいちばん最初の
「たしかに報道にはなかったかもね」
という言い回しにも、どういう含みが
あるのかと思いたくなります。
「菊池誠」には、「山上徹也を英雄視した
報道があった」と思っていた認識、
もしくは思いたい願望が
潜んでいたのかとも思います。