ことわざがあります。
このことわざは、昭和天皇・裕仁に
とてもよくあてはまると、わたしは思います。
昭和天皇・裕仁は、大日本帝国の三代目の天皇です。
そして、太平洋戦争を起こして、
近代史上最大の壊滅的な敗北を招き、
大日本帝国を滅亡させました。
まさしく「売り家と唐様で書く三代目」です。
昭和天皇・裕仁は1901年産まれ、
義和団事件が起きていた年でした。
裕仁がものごころついたときには、
まわりのおとなたちは日露戦争の
勝利で酔っているときでした。
1910年、裕仁が小学生の年に韓国併合という、
日本軍国主義最大の事件が起きます。
裕仁が多感だった思春期には、
第一次世界大戦が起こります。
日本はドイツの権益を奪い、
中国に21か条の要求を突きつけました。
昭和天皇・裕仁の少年時代は、
日本は侵略戦争によって列強へと
のしあがっていった時代でした。
そんなまわりのおとなたちを見て、
裕仁はおとなとなり天皇となります。
昭和天皇の治世は戦争ばかりでした。
即位は1926年ですが、その5年後の
1931年に満州事変が起こり、
翌年に満州国を建国しています。
1937年には日華事件が起こり、
そのあと日中戦争に突入します。
1941年に日本は真珠湾奇襲をしかけ、
アメリカ合衆国を相手にして、
太平洋戦争に突入します。
昭和天皇・裕仁の時代の日本は、
侵略戦争を際限なく拡大させていき、
歯止めが効かない状況になっていました。
ものごころついたときから、まわりの
おとなたちが侵略戦争にふけっていて、
侵略戦争があたりまえになっていた
君主らしい治世と言えるしょう。
そして昭和天皇は、歯止めが効かなくなった
侵略戦争のせいで、自分の治める国を
ほろぼすことになったのでした。
「三代目」とはえてして「こういうもの」
という見本ではないかと思います。
付記1:
昭和天皇・裕仁の誕生日4月29日に
こんなエントリを書く、ちょっと
いじわるなたんぽぽでした。
付記2:
1月7日の昭和天皇・裕仁の命日にも、
マストドンとフェイスブックで、
わたしは同じことを書いていました。
このエントリは、そのときの投稿に
加筆してブログにしたものです。