2022年11月20日

人は恋愛で子ども時代を損失する?

10月27日エントリの続き。

おとなになると子ども時代の自由や感性を
失なうという、三春充希氏の記事の続き。

「遊びはどこへ」

 
子ども時代の自由を失なってくると、
かわりに恋愛に関心を持つようになると、
三春充希氏は言ってもいます。

かわりにぼくたちの多くは
異性を意識するようになった。
けれどそれは多くの仲間と世界を共有するのとは違い、
恋愛へ、やがて家庭へと、男女、男女で細かく
振り分けられていくことに近かった。

異性に輝きを見ていたのは間違いない。
けれど振り分けられて囲い込まれて、
それは二度と子供の頃のような広大な世界を
持つことができない道でもあるのだった。

子どものころはともだちと遊ぶことに
熱中していたが、成長すると恋愛に関心を
持つようになる、ということでしょう。
これ自体はよくあることだと思います。


特徴的なのは三春充希氏は
恋愛することで人はおとなへと成長し、
子ども時代の自由と感性を
失なうと考えていることです。

「恋愛はおとなになるステップ」というのは、
よくある考えかただと思います。
それを「子ども時代の損失」とする
考えかたは、ほとんど見ないのでは
ないかと思います。

こうした恋愛の考えかたについては、
いろいろと言いたいことも
あるだろうと思います。


ここでわたしが言いたいのは、
この点に関しても三春充希氏は、
「深淵な非もて」の「後藤文彦」氏と、
考えかたが対照的だということです。

「後藤文彦」氏は子ども時代の
手放しの幸せを、おとなになっても
続けたいので、それを恋愛に
求め続けてきたのでした。

三春充希氏は恋愛を得ることは
そもそもがその代償として、子ども時代の
損失をともなうと考えています。

このような考えかたであれば、
恋愛によって子ども時代に
損失したもの埋めるとか、恋愛から子ども時代の
代わりを見出すという発想は
当然出てこないでしょう。


恋愛に子ども時代を求める
「後藤文彦」氏と、恋愛は子ども時代とは
相入れないとする三春充希氏、
まったく正反対の考えです。


posted by たんぽぽ at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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