「深淵な非もて」の「後藤文彦」のことを
しばらく取り上げました。
なぜ突然取り上げたのかというと、
前のエントリでご紹介した三春充希氏の
記事を見たからにほかならないです。
「遊びはどこへ」
ふたりとも「子ども時代は手放しで
すばらしかった」という趣旨ですが、
その回想に対する構えかたが好対照的、
ということが強い印象を与えます。
すでに少しお話しましたが、
三春充希氏は「子ども時代の回想」を、
ずっと客観視しています。
その上で社会全体の利益と結びつけた、
現実に足のついた主張をします。
これはひたすら後ろ向きで、
みずからを客観視することもなく、
自己中心的な発想に向かう
「後藤文彦」と、大きく異なることです。
「同じ子ども時代のノスタルジーから
出発しても、これくらい違った
姿勢になれるのか」と、わたしは
しばし感嘆したのでした。