2022年10月23日

甘やかされて当然だった「末っ子長男」

前のエントリの続き。

「深淵な非もて」のサイトの
「後藤文彦」氏ですが、本人の書いたコンテンツ
(たとえばご自慢のこちらとか)から
判断すると、子ども時代の家族構成は
両親のほかは姉がひとりいるだけです。

 
「後藤文彦」氏の子ども時代は
家族の中でいちばん年下でした。
さぞかしほかの家族や親戚から
かわいがられたことと想像します。

下のきょうだいはいないです。
「後藤文彦」氏は「末っ子長男」になります。
なおさら甘やかされたのではないかと、
わたしは想像します。

「下の子が産まれたら、親や親戚の
おとなたちからの愛情を下の子に
持っていかれた」のような思いも、
「後藤文彦」氏には経験がないわけです。


かくして「後藤文彦」氏は、
「自分はまわりから甘やかされて当然」
「他人から与えられて当然」と、
思うようになったものと想像します。

現に「自分は甘やかされて当然」
「自分は甘やかされる必要がある」という
意識を詩や文章で公言していて、
まったく隠そうともしないです。

「落どした場所>甘え」

おいの感性ど欲求機構の変化に伴って、
親が甘えの対象どしてはまるで機能しねぐなったごどば、
甘え自体が不要になったがみでぐ錯覚してだのっさ。
誰にも甘えねくて済んだのは、
「甘えの蓄え」があったがらなのっさ。

三十歳ぐれえになるまでの次の十年間に、
おいはあの小学三年時に抱いた恐怖が
正に杞憂でねがったごどば痛感した。
甘えの蓄えば使い果だしたっつうごどなのが、
孤独の持続っつうごどなのが、愛情の不在っつうごどなのが
——記述方法は色々どあっぺげっと、
現においは少くとも子供時代の想像ば
遥かに絶して苦痛になり得でっと思う。



posted by たんぽぽ at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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