「親子同姓を切望する子どもは
改姓の負担がなくなると、たんぽぽは
言っている」と、「正論」は言っています。
「親子同姓を切望する」と「姓を変えたくない」は両立しますが?
— 正論 (@ID_Seiron) March 24, 2022
なぜ勝手に親子同姓を切望すると負担がなくなると思うのでしょう?
その理屈だと結婚を切望するなら改姓を負担に感じないのではないですかね?(笑)
切望してるからと言って、手間暇や影響がないことにできるわけではありません。
— 正論 (@ID_Seiron) March 27, 2022
わたしはそんなことは言っていないです。
「親子同姓を切望する子どもは
改姓を負担に感じなくなる」が、
わたしの言っていることです。
改姓の負担そのものはありますが、
それをどの程度重荷に感じるかが
変わってくる、ということです。
「正論」はわたしの主張を
微妙にすり替えていることになります。
「微妙」なので、気がついても
「まあいいや」と見過ごすかたも
いるかもしれないです。
それでもどんな悪意を持っているか
わからない選択的夫婦別姓の反対派
(非共存派)が相手です。
手間をちょっと使って訂正しました。
わたしは「改姓の負担がなくなる」とは言っていない。「改姓の負担を感じなくなる」と言っている。微妙にすり替えないでほしいです
— たんぽぽ (@pissenlit_10) March 24, 2022
親子同姓を切望していれば、「改姓の手間がなくなる」とは言っていないです。「改姓の手間を負担に感じなくなる」と言っています。微妙にすり替えないでくださいね。前にも言ったけれど
— たんぽぽ (@pissenlit_10) March 28, 2022
付記:
「正論」は同様の「微妙なすり替え」を
上述のように2回しています。
「正論」はわたしが悪質な主張を
展開していると思わせるための印象操作に、
それだけ躍起なのでしょう。
あるいはそうではなくて、
「正論」は本気で、自分がわたしの
主張をすり替えていることに、
気づかないことも考えられます。
高いかもしれないですね。
くだんの反対派(非共存派)は、
「子どもは父親の苗字で親子同姓で
ありたいと思わなければならない。
母親の苗字で親子同姓なんてとんでもない」
という思いで、必死でしょうから。