異なる理由を納得させるほうが難しい」と
言ってきた選択的夫婦別姓の反対派
(非共存派)のお話をしました。
「親子別姓の理解は難しくないでしょう」
その反対派(非共存派)は、
「自分は家族みんなと同じ苗字で
ありたい」という信念があって、
それを他人も共有しているからだろう
というお話を、わたしはしました。
この反対派(非共存派)は、
自分と異なる他人がいることを
理解する必要があると、わたしは
ツイッターでも言ったのでした。
「子の姓が父母どちらかと異なる理由を納得させる方が難しいように思われ」る人は、「自分の信念を他人は共有しない」こと、「世の中には自分と異なる他人がいる」ことを、理解する必要があるかもしれない
— たんぽぽ (@pissenlit_10) January 11, 2022
そうしたら問題の反対派(非共存派)は、
選択的夫婦別姓を求めるかたは
自分と異なる他人がいることを
理解できているか?などと訊いてきました。
そのまた逆も然りですよね。現行制度の夫婦同姓の考えについて自分と異なる他人がいることを理解できていますか?その上でたとえば学校で夫婦別姓についての授業がもしあったとして夫婦同姓賛成派の父母はどういう気持ちになるでしょうか?互いに理解し合うことは大切ではないかと思われます。
— くら358⭐️🌈🐈🏇🇯🇵 (@kura39nara) January 11, 2022
そんなの理解できているに決まっています。
日本は夫婦同姓が強制され、
婚姻届けを出した人はかならず
夫婦同姓になります。
結婚改姓して(結婚改姓させて)
夫婦同姓になったかたは、
なんら臆することなく、自分の苗字に
ついて公言することができます。
まわりに夫婦同姓の人たちが
たくさんいて、それを堂々とお話して
存在を示しているわけです。
夫婦別姓を望む人たちは、
「他人は自分と違う」といやおうなしに
認識させられるというものです。
最初の反対派(非共存派)は、
なにをわかりきったことを
「懐疑」するのかと思います。
一般に被差別マイノリティに対して
「あなたは自分と異なる他人が
いることを理解していますか?」と
お尋ねするのは、あたりまえすぎて
実にばかげていると思います。
「自分と異なる他人」の存在に
鈍感になりやすいのは、
社会的強者やマジョリティです。
「自分と異なる他人の存在を
理解できますか?」という質問は、
社会的強者やマジョリティに対して
意味を持ちうることだと言えます。