2021年11月19日

フェミニズム憎しも男性の怨念の一般化?

むかし(いまから20年近く前)に、
わたしがかかわったネットの
選択的夫婦別姓の市民団体は、
やりかたが横暴かつ独善的でした。

それゆえ以前から活動を続けていた
かたの中には、排除されたか、
実質的に排除されたも同然の人が、
わたしを含めてたくさんいました。

 
なにしろそのネットの市民団体は、
自分たちの活動方針なら絶対に
うまくいくと確信していました。

それゆえ自分たちのやりかたに
異議を唱えるものは、「まちがっている」から
基本的に排除してかまわない、
排除することが、選択的夫婦別姓の
実現に近づくという考えでした。

そうした活動方針なので、
排除された人たちの中には、
かかる市民団体に怨念をいだく人も
いらっしゃりました。
それはそれで当然だと思います。


ところがくだんの市民団体に対して
怨念を持った人たちの中に、
なぜかフェミニズム全般に対する憎悪に
拡大させる人たちがいました。

そうしたフェミニズム全般を
うらむようになったのは、
わたしが見たところでは全員男性でした。

これも「男性は女性よりも、怨念の対象を
一般化や抽象化させやすい」ことの
一例なのかもと、わたしは少し思っています。

「男性は怨念の対象が一般化しやすい?」

(女性の場合、フェミニズム全般を
憎悪しても得することがほとんどない、
ということもあると思いますが。)


posted by たんぽぽ at 23:11| Comment(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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