問題点があるなら、それは危惧することで
対策が必要だと主張するツイートです。
このかたは、結構長いこと反対派
(非共存派)のツイートを見ているそうですが、
検討に値する反対派(非共存派)の
主張はひとつもないと言っています。
僕は、選択的夫婦別姓制度の導入にはもちろん賛成ですが、愚にもつかない反対論に隠れてしまって、実際の導入に際しての本当の問題が見えなくなることを危惧しています。もしそういうものがあるなら、事前に知って対策しないといけない。
— ital inouye (@ital_inouye) November 13, 2021
井田さんをフォローして、これまで実にたくさんの反対ツイートを見ましたが、それらは大きく分けて、差別に根ざすものと、自民党への支持から来るものの二種類で、議論する価値のあるものは、ひとつも、本当にひとつもありませんでした。
— ital inouye (@ital_inouye) November 13, 2021
だいぶ長いこと「選択的夫婦別姓を
導入したときの問題点」を探している
ということになるでしょう。
それだけ探していっこう見つからないなら、
「選択的夫婦別姓を導入したときの
問題点」なんて、そもそも存在しない、
ということになると思います。
これ以上「問題点」を探し続けるなら、
「問題点」を探して見つけ出すことが
目的化することになると思います。
それは「選択的夫婦別姓に反対するために、
問題点を探そうとしている」と、
第三者からは思われかねないでしょう。
問題点があるから反対するのであって、
反対するために問題点を探すのは、
目的と手段の倒錯ということです。
ここまできたら「選択的夫婦別姓を
導入したときの問題点はないとは
言えない」は「反証不可能」であるとして、
「導入したときの問題点はない」と
考えるのが「実証的な態度」だと思います。