2021年11月14日

リベラル憎しは男性的な怨念の一般化?

11月11日エントリでお話した、
リベラル・左派叩き、野党叩きで、
「菊池誠」は失なったもののほうが
多いのではないか、というお話の続き。

「野党やリベラル憎しでなにを得た?」

 
放射線や原子力関係で「とんでも」な
主張をする人たちは、その多くが
「リベラル・左派」にカテゴリされる人たち
だったのかもしれないです。

それでも「リベラル・左派」に
カテゴリされる人たちすべてが、
原子力関係で「とんでも」な
主張をしていたのではないです。

「リベラル・左派」に入る人たちの
中にも、適切な科学リテラシーを
しめしたかたはたくさんいました。
また彼らの中にも、原子力関係の
「とんでも」を批判したかたもいます。


それにもかかわらず「菊池誠」は
「リベラル・左派」でひとくくりにして、
原子力関係の「とんでも」な主張をして、
自分に理不尽なバッシングをすると
決めつけたのでした。

ここでわたしが思ったのは、
「男性は怨念の対象が一般化や抽象化を
しやすいのではないか」という指摘です。

「男性は怨念の対象が一般化しやすい?」

自分を不当に攻撃した原子力関係の
「とんでも」な人たちに対する怨念を、
「リベラル・左派」に対する怨念に
一般化した「菊池誠」は、男性的な怨念の
持ちかた発揮したことになります。


posted by たんぽぽ at 21:56| Comment(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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