リベラル・左派叩き、野党叩きで、
「菊池誠」は失なったもののほうが
多いのではないか、というお話の続き。
「野党やリベラル憎しでなにを得た?」
放射線や原子力関係で「とんでも」な
主張をする人たちは、その多くが
「リベラル・左派」にカテゴリされる人たち
だったのかもしれないです。
それでも「リベラル・左派」に
カテゴリされる人たちすべてが、
原子力関係で「とんでも」な
主張をしていたのではないです。
「リベラル・左派」に入る人たちの
中にも、適切な科学リテラシーを
しめしたかたはたくさんいました。
また彼らの中にも、原子力関係の
「とんでも」を批判したかたもいます。
それにもかかわらず「菊池誠」は
「リベラル・左派」でひとくくりにして、
原子力関係の「とんでも」な主張をして、
自分に理不尽なバッシングをすると
決めつけたのでした。
ここでわたしが思ったのは、
「男性は怨念の対象が一般化や抽象化を
しやすいのではないか」という指摘です。
「男性は怨念の対象が一般化しやすい?」
自分を不当に攻撃した原子力関係の
「とんでも」な人たちに対する怨念を、
「リベラル・左派」に対する怨念に
一般化した「菊池誠」は、男性的な怨念の
持ちかた発揮したことになります。