どんな悲観的な結果になろうと
民主主義をあきらめない、という
決意を強く表明するツイートです。
ここでの要点は大きくふたつあると思います。
皆さま、お疲れさまでした。昨日と同じツイートですが、たとえ、どんなマイナスな結果でも、私は民主主義を諦めませんし「終わった」「詰んだ」「民度」「選んだ人の自業自得」は言いません。ツイートされても反応もしません。終わらせない、詰ませないためにこそやっているので。これからも同じです。
— Kakopon (@kakopontan) October 31, 2021
ひとつは「終わった」「詰んだ」と思わない、
ということで、民主主義を決して
あきらめない、ということです。
わたしもこれで「終わった」
「詰んだ」とは思わないです。
あきらめるという発想もないです。
(わたしはだれも読まないブログを
ちまちまと続けているのですから、
「あきらめていない」ことは
わかるだろうと思います。)
ここであきらめたら、それこそ本当に
「終わった」「詰んだ」となるでしょう。
それでもわたしは「先に延びた」とは思います。
延びたことによって、さらに犠牲が
出る可能性もあることになります。
また「自分が生きているうちには
かなわない」可能性もあると思います。
選択的夫婦別姓は残念ながら
「生きているうちにかなわない」
という域に入っています。
実現しないまま、なくなったかたも
すでに何人もいるのですから。