2021年10月17日

「どちらでもよい」は他人の選択

10月16日エントリの続き。

「自分は夫婦同姓がいいが、
他人は別姓、同姓のどちらでもよい」を
選択的夫婦別姓に賛成だと思いたくない
タンバリンの「ゴンゾー」の続き。

「ゴンゾー」はそのがんめいさに
見かねられたのか、それとも有名人(笑)ゆえに
リテラシーを問題視されたのか、
全国陳情アクションのななさんから
じきじきにリプライをもらいます。

 

アンケートの前文で、選択的夫婦別姓とは
なんぞか?と、制度の趣旨を回答者に
適切に把握してもらっていることを、
ななさんはしめしています。

だから回答者は「自分の選択」と
「他人の選択」の区別があることを
理解しているし、その上でアンケートに
答えているから問題ないということです。


「ゴンゾー」は今度は「どちらでもよいを
賛成にねじ込んだ」などと言っています。


「ほかの夫婦が同姓、別姓の
どちらでもよい」ということなら、
選択的夫婦別姓に「賛成」になります。
他人の選択には干渉しないのが
選択的夫婦別姓に「賛成」だからです。

そして「他人の選択はどちらでもよい=
選択的夫婦別姓に賛成、反対の
どちらでもよい」ではないです。

「ゴンゾー」は執拗に回答の趣旨を
すり替えようとしているようです。
「自分は夫婦同姓がいいが、
他人は別姓、同姓のどちらでもいい」と
回答する人の存在が、「ゴンゾー」は
どうしても認められないのかもしれないです。


「自分と異なる他人がいる」と
考えることは、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)は苦手なことが多いです。

そんな彼ら反対派(非共存派)が
「自分と異なる他人」の存在を
受け入れられないのもごもっともと
言ってしまえばそれまでです。


posted by たんぽぽ at 22:59| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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