2021年09月05日

不寛容の否定が多様性の尊重

9月1日エントリの続き。

「不寛容を否定することが多様性の尊重である、
そして選択的夫婦別姓に反対することは
不寛容なので、多様性の観点から
否定することになる」ということを、
わたしはツイッターでもお話しました。

 


最初の選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
自分はそう思わないと言ってきました。
不寛容に寛容になることの矛盾が
理解できないということでしょうか?


他者に対して不寛容な人たちに
寛容になると、寛容に扱われた人たちは
「他者」に対して不寛容になってよい、
それが認められたと考えます。

そして彼らはその「他者」に対して
実際に不寛容となり、その「他者」に対して
寛容な社会はまっこうから否定されます。

それゆえ寛容な社会の実現のためには、
不寛容を否定する必要があるということです。
それが9月1日エントリでお話した
「ポパーの寛容のパラドックス」です。




自分自身を否定する考えかたを
取り込むことはできない、
取り込んだら矛盾だというのは、
あたりまえのことだと言えます。

「寛容な社会」という課題に関しても、
その例外ではなかったということです。


posted by たんぽぽ at 21:47| Comment(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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