「本多勝一研究会」が歴史修正主義に走る
反ユダヤ主義に対して問題意識が
希薄なことに対して、当時も批判はありました。
東京グラムシ会のかたの
ウェブサイトにある、次のコンテンツです。
「「目糞、鼻糞を笑う」本多勝一バッシング」
批判の趣旨は「『本多勝一研究会』は
ガス室否定の反ユダヤ主義者が
『仲間』にいる」というものです。
バッシング派はこの点でも本多を
嫌っているらしく、「ホロコースト否定」の
ネオナチとまで手を組んでの本多バッシングを
目指しているもののようだ。
批判に徹するあまり、本多の優れた面までも
批判しようとする動き。これは危険である。
歴史偽造の右派と一緒になっての
本多「批判」はむしろマイナスであろう。
そもそもトンデモ「理論」反対の立場からの
本多批判であるはずなのに、そのトンデモ「理論」の
極地とも言うべき「ホロコースト否定」論に組し、
本多批判をするとはいったいどういうことか!
歴史修正主義のデマ宣伝との闘いを
「不当な言論弾圧」などと言うのは許されないのである。
バッシング派は、本多たちが
「ホロコースト否定」派に裁判で
勝利したことも気に食わない。
もちろん、裁判に訴えることは市民として
当然の権利であり、何も問題はないし、裁判闘争で、
歴史の真実を社会的に認知させること自体、
何ら間違っているわけではない。
このような批判に対して、「本多勝一研究会」は
みずからの反論はしています。
「速 報」
「『仲間』にネオナチがいる」と
言われたことへの釈明は、次のくだりです。
「本多勝一研究会」の主要メンバーは
ガス室否定の反対ユダヤ主義ではない
というのが反論の趣旨です。
歴史修正主義と当研究会については、
会の呼びかけ人である西村氏のサイトにおける
昨日までの一言「更新できませんの
お知らせ」を参照して下さい。
これを見ていただければご理解いただける
と思いますが、呼びかけ人からして
ホロコースト否定者批判の先陣であり、
ネオナチと手を組んで本多バッシングを
目指そうとして会としての統一見解を
打ち出すことなど不可能です。
また、私もホロコースト否定論は支持しておりません。
訊かれているのは「『仲間』に反ユダヤ主義者が
いるのはどういうことか?」です。
「あなたたちは反ユダヤ主義者か?」と
訊かれたのではないです。
それゆえ「自分たちはガス室否定の
反ユダヤ主義者ではない」と、
いくら釈明したところで、
答えになっていないというものです。
「本多勝一研究会」の主要メンバーが
反ユダヤ主義者でないことくらい、
批判のサイトを書いた東京グラムシ会のかたも
わかっているでしょう。
わたしも「本多勝一研究会」の
主要メンバーは、自身は反ユダヤ主義者で
ないことくらい察しがついています。
「本多勝一研究会」は、ユダヤ人問題について
会としての統一見解を出すことは
不可能だとも言っています。
そんな「統一見解」は訊かれていないのですから、
これも答えになっていないです。
「仲間に反ユダヤ主義者がいる」と指摘されて
「自分たちは反ユダヤ主義者でない」と
「反論」するのは、こうした場合に
ありがちではあると思います。
「仲間に反ユダヤ主義者がいる」と
言われて反論できないので、
「自分たちは反ユダヤ主義者でない」と
自分たちの見解を述べることで
「すり替える」のかもしれないです。
あるいは自分たちは反ユダヤ主義者で
ないことを示せば、反ユダヤ主義者と
手を組むことの「免罪符」になると
思っているのかもしれないです。
反ユダヤ主義者を手を組み、
共同で活動をすれば、彼ら反ユダヤ主義者に
一定の発言力や社会的影響力を
持たせることになります。
それは反ユダヤ主義者と手を組んで
活動をした人たちの責任にもなります。
「自分たちは反ユダヤ主義者でない」
という釈明は、反ユダヤ主義者に
影響力を持たせたことに対する
「免罪符」にはならないです。
「本多勝一研究会」の人たちは、
このあたりのことが本気で
わからないのかもしれないです。
あるいはわかっているけれど、
「本多勝一に対する憎悪、敵意」という
心情的な接近や、「本多勝一の著作に関する
情報提供」という眼先の利益の前に
抗せないのかもしれないです。