小林賢太郎氏のはユダヤ人虐殺を
ねたにしたコントに関係して、20世紀の最末期は、
反ユダヤ主義を容認する論調が日本社会に
あったことに少し触れました。
「小林賢太郎の解任・日本社会の問題」
そうした20世紀最末期の日本社会の
反ユダヤ主義が伝わってくると思われる
ウェブの活動があるのでご紹介します。
「本多勝一研究会」というものです。
本多勝一氏というとても有名な
ジャーナリストがいますが、
このかたは自分の著作の文章を、
あとからこっそり書き直すことが
多いというので、それを探り出すことを
目的とした研究会です。
「本多勝一研究会」
この「本多勝一研究会」あてに、
「ヒトラー・ナチスによる
ユダヤ人虐殺はなかった」という主張も、
言論の自由で認めるべきだ、
それを認めない本多勝一氏はけしからん、
という趣旨のメールが来たのでした。
「『週刊金曜日』への公開問題提起文」
このメールでは「本多勝一研究会」にも
少しですが、肯定的な言及があります。
研究会の人たちはそれに気をよくしたのか、
メールを差し出したかたから
許可をもらって掲載したのでした。
また他のサイトでも、たとえば「本多勝一氏の
思想・発言の軌跡を実証的にたどることを
主たる目的として結成された」
「本多勝一研 究会」(http://hello.to/hondaken/)、
「『カンボジア大虐殺』は、“まぼろし”?!」
(http://www.coara.or.jp/~pwaaidgp/honda.html)
なる長文の本多批判(公開質問状に対して
本多氏は1996年7月17日に
「この問題につきましては徹底的に回答したく
思っております」と約束しておきながら、
今日まで回答はないという)などがある。
ガス室否定の歴史修正主義者からの
メールを掲載することに対して、
「本多勝一研究会」は、次のような釈明をしています。
「速 報」
確かに、江ノ原氏のメールは
木村愛二氏弁護の立場で書かれています。
しかしながら、その公開問題提起文の中に
当研究会の名前が出されているため、
こうした文面で紹介されたということを
報告するためにここに掲示したわけです。
「本多勝一研究会」について、
メールの中で言及があったから
載せたまでだと言っています。
もとのメールを見ても「本多勝一研究会」は
名前が出てくる程度です。
研究会の活動内容について、
たいして記述があるわけではないです。
名前を出してもらった程度なのに、
差出人から許可をもらってまで
メールを掲載した、ということです。
「ガス室なかった」はあきらかに
事実と反する間違った認識であること、
そしてそんな歴史修正主義はきわめて
危険であることを、「本多勝一研究会」が
はっきり認識していれば、かかるメールを
掲載しないと思います。
「『ガス室なかった』という主張も
言論の自由で認められるべきだ」という
メールの趣旨の主張には、「本多勝一研究会」も
賛同していると考えられます。
「本多勝一研究会」は、アンチ・セミティズムの
問題をはっきり認識できず、
ユダヤ人虐殺を否定する主張を容認している、
ということだと考えられます。
「本多勝一研究会」が活動していたのは、
1999年-2000年ごろです。
小林賢太郎氏のユダヤ人虐殺を
ねたにしたコントは1998年です。
まさに同じ時代ということです。
20世紀の最末期には反ユダヤ主義を
容認する論調が日本社会に蔓延していて、
それがネットに影響したのが
「本多勝一研究会」のかかる姿勢、
ということになると思います。