「駄文」呼ばわりした選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の「madao」は、
自分たちは「慎重派」であって、
「反対派」ではないと言っています。
反対派じゃなく慎重派ね。
— madao@ (@madaoorz2) April 15, 2021
コストの話になるとどんなに理屈を並べても現状維持が一番最適解になってしまうけど?
自分たちを「慎重派」と称して、
「反対派」とは言わないのは、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)には、
よくあることだと思います。
議員や選挙の候補者で選択的夫婦別姓に
反対している人は、ほとんど
かならず「慎重派」と称します。
メディアも報道するときは、
彼らに気をつかうのか、やはり「慎重派」と
表記することが多いです。
「慎重派」より「反対派」のほうが
実態をより正確に表している表現です。
彼らは「選択的夫婦別姓の導入には慎重な
議論が必要」と言い続けることで
半永久的に導入に反対を続けるからです。
選択的夫婦別姓に反対しているのに、
「反対派ではない、慎重派だ」と
あえて言うのはなんなのかと思います。
「慎重」が「反対」の方便であることはあきらかです。
反対とはっきり表明すると、
批判されるのは必至だし、それに反論する
自信がないので、「慎重派」だと言って
態度をあいまいに見せるのでしょうか?
世論調査で「中立」「無回答」と
答えるのと同じようなメンタリティです。
将来選択的夫婦別姓が実現された
あかつきには、「自分は反対していたのではない、
慎重だっただけだ」とエクスキューズする
余地を残したいのでしょうか?
「未来の免罪符」ということです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)を、
わたしはほとんど見ないです。