2021年06月09日

自由な批評を許さなくなる過剰反応

6月8日エントリの続き。

ここでの作者は「広告の作者」であって、
藤子不二雄ではないこと、そして亡くなった
作者の考えも考察できることを、
「野比しずか」の広告を擁護する
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)に、
わたしはツイッターでお話しました。

 


そうしたら広告を擁護する
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
なにを思ったか、「新聞広告を出しただけで
人民裁判のような吊し上げを
喰らう」などと言ってきました。



新聞広告は大勢の眼に入って目立つのだし、
社会的影響力もそれだけ大きいです。
それが問題含みの表現なら、
なおさら批判する必要があることです。

そうした社会的影響力のある著作物を
ネットで一般の人たちが批判する程度で
「人民裁判のような吊し上げ」なんて、
なにを大袈裟すぎることを、
この反対派は言っているのかと思います。

「人民裁判」などと異様に過剰反応するのは
一般の人たちによる批判をあたかも
問題があることのように思わせ、
自由に作品を評論できない状況を
作り出すことになるでしょう。

それこそ「体制や権力に都合のいい
批評しか許さない」という全体主義国の
ような事態になりかねないです。


posted by たんぽぽ at 14:14| Comment(3) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
批評の対象は藤子先生ではなく広告会社ですね。ごっちゃにしてますよね。
Posted by 改姓した男の人 at 2023年10月29日 03:59
田村淳さんに対する非共存派の態度の方が吊し上げだと思います。あのときは炎上責任も淳さんに押し付けてました。
Posted by 改姓した男の人 at 2023年10月29日 19:22
>批評の対象は藤子先生ではなく広告会社

そのような基礎的な事実さえも
正確に認識せず批判をするのは、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)には
ありがちだと思います。
ようは無責任に批判している、ということです。


>田村淳さんに対する非共存派の態度の方が吊し上げ

自分たちの攻撃的態度を棚に上げて、
被害者づらするといったダブルスタンダードも、
反対派(非共存派)にはありがちです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/485609039.html
Posted by たんぽぽ at 2023年11月02日 21:50
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック