夫婦同姓の強制が守ってきた価値とは
「女性が改姓するのが当たり前だから
実質考えなくていい」ということか?と、
わたしはツイッターでもお話しました。
「いままで守ってきた価値」とはなんでしょうか? このような「女性が改姓するから実質考えなくていい」というものでしょうか? pic.twitter.com/TJnwmbVfi8
— たんぽぽ (@pissenlit_10) April 26, 2021
そんな差別的な「価値」は、そもそも守るべきではなかったです https://t.co/cifx5doe8c 。さっさとなくしてしかるべきです
— たんぽぽ (@pissenlit_10) April 26, 2021
そうしたら「守ってきた価値」発言の
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
「筑後守」の発言を擁護してきました。
しかもなにを言いたいのか、まったくわからないです。
また、筑後守さんの意見についてはその部分だけ見ると、「実質考えなくてよい」は違うと思います。夫婦で相談する、どちらの苗字にするか決めるというプロセスを経て婚姻届が出されるものだと理解しています。
— ★どくきのこ★ (@ggxKMOi7vBSwt6k) April 26, 2021
その「どちらの苗字にするか決めるプロセス」が
「実質存在しない」というのが、
「筑後守」の言っていることです。
いくら「夫婦で相談」をしたところで、
「女性が改姓するのがあたりまえ」なので、
結論は妻が夫の苗字に改姓すると
決まっていて、相談などなくても同じ
ということだからです。
「守ってきた価値」発言の反対派(非共存派)の
言っていることは、「実質存在しない」は
「存在する」という意味だという、
まったく自己矛盾したことになるでしょう。
付記:
問題の選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)が
念頭に置いている「夫婦同姓の強制が
守ってきた価値」は、「筑後守」発言の
「実質考えなくていい」という
ことではないようです。