プレジデント・ウーマンの記事で、
「夫婦同姓しかない、それが最後の望み」という
反対派を「残念な結婚観を露呈」と
評していることについて、問題の匿名ダイアリーは
「記事著者は自分が進歩的であると
誤信」などと言っています。
https://anond.hatelabo.jp/20210311030526
https://president.jp/articles/-/32830?page=4自分たちの残念な結婚(観)を露呈自らが進歩的であるという誤信
「残念な結婚観を露呈」というのは
「遅れている」という意味ではないでしょう。
異様とか不可解とは思っていそうですが。
なので記事著者が「自分は進歩的」と
考えているとは言えないでしょう。
どこも「誤信」などしていないと思います。
そうなると「残念な結婚観」を
「自分は進歩的と言っている」と、
匿名ダイアリーはなぜ思ったのか?
という問題が出てくることになります。
記事では「残念な結婚観」の直前のくだりで
「どれだけ進歩しているだろうか」とあるので、
それを指してのことかもしれないです。
10年前のこの請願書から、夫婦別姓と聞いて
杉田水脈議員が放った「じゃあ結婚しなくていい」との
脊髄反射的なヤジは、果たしてどれだけ
進歩しているだろうか。
これは自民党の反対派議員たちは、
10年前から「とんでも」な理屈で
選択的夫婦別姓に反対していて、
それが変わっていないことを指摘しています。
「とんでも」な理屈を10年以上
信じ続けていれば、「進歩がない」と言われても
ごもっともなことだと思います。
それだけの時間があれば、とっくに
「とんても」なさに気がついて
考えをあらためているはずだからです。
もっとも「進歩がない」と「進歩的でない」は、
同じではないと思います。
「進歩がない」は自分の中で
発展や向上がないことを言います。
「進歩的でない」は、社会の新しい進んだ
考えかたをしないことを言います。
記事著者は10年前も、自民党の請願文書を
「とんでも」と思ったでしょうから、
10年前から「進歩的」ではあるでしょうけれど、
「進歩した」とは言わないと思います。
もっと単純に匿名ダイアリーの人は、
選択的夫婦別姓に反対することを
「遅れている」と言われることに
反発しているだけとも考えられます。
2021年の現在、世界中のほとんどの国で
夫婦別姓の選択肢はあります。
夫婦同姓を強制するのは日本だけです。
そしてその日本も法制審議会の答申から
25年も経過、国連女子差別撤廃委員会から
5回も勧告を受けています。
世論調査でも選択的夫婦別姓に賛成は
7-8割ほどとなり、反対は1-2割程度です。
そのくらい選択的夫婦別姓に対する
必要と理解は進んでいるにもかかわらず、
「みな夫婦同姓でなければならない」
なんて考えに拘泥していては、
「遅れている」の誹りは必至というものです。
これに関しては、選択的夫婦別姓に
賛成する程度でどこが「進歩的」なのか?
というべつの疑問もありますが、
それはいまは置いておきます。
匿名ダイアリーの人は「夫婦同姓であることしか
結婚生活を維持する要素がない」ことが
「残念な結婚観」ということが、
実は理解できないのかもしれないです。
つまり結婚生活を維持する積み重ねには
苗字以外にもさまざまなことがある、
というあたりまえのことが、
本気でわからないということです。
選択的夫婦別姓の反対派は生活感がなく、
恋愛や結婚、家族がわかっていないのではないかと
思わせる人もめずらしくないです。
それゆえ可能性はあると思います。
「夫婦別姓反対派・生活感の欠如」
そうだとしたら、この匿名ダイアリーの人も
「残念」ということになります。
自分が「残念」だから、「残念」という
他者からの指摘が理解できなくて、
「あいつは自分が進歩的と思っている」と
筋違いの反発をしたということです。
付記:
匿名ダイアリーが問題にしているはずの、
「死ね殺せとののしる人」や、
「死すべき人を選別する人」は、
今回の記事も出てこなかったです。