「女性は結婚改姓を当然受け入れる」という認識に
もとづいていて、この観点からの批判は
正当だというお話をしました。
こののび太としずかの結婚ストーリーの
広告に対して批判が出ていることに対して、
匿名ダイアリーは「創作上ですら」と言っています。
これはむしろ創作だからこそ問題に
なることがあると言えるでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20210311030526
https://togetter.com/li/1627335たぶん何も考えてない人たち/古い価値観/創作上ですらこの憎悪。
姓を変えさせるとか昭和かよw今令和でしょ?/気持ち悪いなぁ
ひとつはすでにお話ししたように
「女性は結婚改姓に疑問を持たず
当然受け入れる」という作者の認識が
反映されていることがあります。
その認識は現実から乖離していてるし、
しかも差別的ですから、批判は当然となります。
さらにこれに加えて、創作ゆえに
「女性は結婚改姓をするのが当然だ」
というメッセージを広めることがあります。
事実誤認かつ差別的な認識が
拡散するとなっては、批判するのは当然です。
匿名ダイアリーは「この憎悪」とも言っています。
「憎悪」はどこにあるのでしょうか?
トゥゲッターでは「気持ち悪い」という感想が
多いですが、それのことでしょうか?
望まない結婚改姓で苦労したり
傷ついたりしたかたが、「あなたは本当は
結婚改姓がうれしいものなんだ」
などと言われれば、生理的に拒絶反応を
起こしても当然というものです。
そうした事実に反していて無神経で
差別的なことを言う人こそ問題にすることです。
匿名ダイアリーは「古い時代の意識」という
趣旨の批判も槍玉にあげています。
それが「憎悪」だと言いたいもののようです。
現在は選択的夫婦別姓の理解も進んで、
世論調査でも賛成が多数になっています。
結婚改姓したくない気持ちを
打ち明ける女性も増えてきています。
「選択的夫婦別姓に7割以上が賛成」
「選択的夫婦別姓に賛成が8割」
「選択的夫婦別姓・ふたつの世論調査」
そうした現代において「女性は結婚改姓に
疑問を持たず受け入れるものだ」
なんて認識を披露していては、
結婚改姓したくない女性の思いが
ほとんど表に出なかった時代で止まっていると
思われても無理もないことです。
ほかに匿名ダイアリーは、広告の作者は
「なにも考えていない人たち」という
批評があることも問題にしています。
「女性は結婚改姓に疑問を持たず
受け入れる」というのは、
日本社会の固定観念と言えます。
現状は結婚改姓が嬉しくない女性が
めずらしくないのに、こんな固定観念べったりの
認識では、結婚と苗字の問題について
本当になにも考えてこなかったのでは
ないかと、わたしも思います。
「気持ち悪い」「古い時代の意識」
「なにも考えていない」は評価としても
問題ないと思いますが、そうでなくても
これらのどこが「憎悪」なのかとも思います。
この程度で「憎悪」だと言うのなら、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
もっとえげつない「憎悪」をのべつ
むき出しにしていると思います。
「夫婦別姓の親は子どもがいじめられるのを
隠している」「夫婦別姓は犯罪の温床」
「夫婦別姓は家族を破壊する工作」
「夫婦別姓を望むのは日本人でない」などの
事実無根の中傷を、反対派(非共存派)は
推進派に対して展開しています。
やはり激しく「憎悪」するのは
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)であり、
問題にするべきは反対派になりそうです。
前のエントリでお話しましたが、
匿名ダイアリーは「死ね殺せ」と罵ることや、
死すべき人間を選別することが
問題だと言ってもいました。
「死ね殺せとののしる選択的夫婦別姓反対派」
のび太としずかの結婚ストーリーを
批判するかたたちの中には、そのような
物騒なことを言うかたはいなかったとも、
最後に言及しておきます。
反対派(非共存派)のほうがはるかにひどい
誹謗中傷をしていると、わたしも思います。
ツイッターでも凍結することが多いのは
反対派(非共存派)ですからね。
自分たちの誹謗中傷をたなにあげて、
ちょっと自分たちが悪く言われただけで、
被害者意識をあらわにする、
それが反対派(非共存派)だと思います。
くしくも藤子不二雄氏が言っていますね、
「だれにも反論する自由がある」ということ。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5628.html
反対派(非共存派)は、自分が他者を
批判(攻撃)するときは「表現の自由」を
高らかにとなえるけれど、自分たちが
批判されると、理不尽な攻撃をされたと
被害者づらする傾向があると思います。