「男は女を守っている」という認識の
ツイートに対して、わたし以外のかたからも、
反論、反証はたくさんあります。
以下のツイートでは、日本は敗戦直後、
日本人(の男性)たちは、自分たちが助かるために
アメリカ合衆国やソビエト連邦に
女性を「差し出した」例をあげています。
あったあった。トランク運んだり、救急車呼んだり。https://t.co/nQQ8Yz5rrq
— くじら (@quzi23) February 15, 2021
「いざとなったら女を守るのはオトコ!!」って言いながら、いざとなったら女を差し出して逃げるのが男仕草。
— くじら (@quzi23) August 4, 2019
ソ連兵に女性を差し出したり。戦後の日本に慰安所を作って米兵に差し出した。それを国がやった。
いつになったら守るのか。
国がやってるからね。
— くじら (@quzi23) August 5, 2019
戦時中の慰安所も、将校向けに慰安所作成のマニュアルがあったから。
https://t.co/e2RocSthvW
— くじら (@quzi23) August 7, 2019
日本の男性たちが、アメリカ合衆国に
女性を「差し出した」というのは、
「特殊慰安施設協会(RAA)」のことです。
わたしがだいぶ前にメインブログで
お話したことがあります。
連合軍兵士向けに設置された慰安所です。
「特殊慰安施設協会のメモ」
「RAAの話題をドヤ顔で持ち出す人は「従軍慰安婦」の基本書すら読んでない」
連合国軍が日本に進駐するのは八月二八日である。
その直前の八月一八日、日本政府はみずから進んで
連合国軍用の慰安所の設置を指示している。
国民の中に恐怖感が広がり、騒ぎが大きくなると、
ただちに動き出しているのである。
軍慰安所制度をもっていただけに動きはすばやかった。
連合国軍が上陸したら、日本の女性が
レイプされるかもしれない、という疑心暗鬼が
当時の日本人のあいだに蔓延しました。
そこで日本政府がみずから主導して、
RAAを設置することにしました。
一部の女性たちを「人身供養」とすることで、
日本社会の残りの人たちの身の安全を
はかろうとしたということです。
日本の男性たちは、ソビエト連邦にも
女性たちを「差し出した」例があります。
「ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白」
敗戦とともに崩壊した「満州国」では、
地獄絵図としか表現しようのないほど、
飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。
孤立無援の満洲開拓団は次々と、
集団自決に追い込まれていった。
そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。
現地の暴民による襲撃、ソ連兵による
強姦や略奪から集団を守り、
食料を分け与えてもらう代わりに、
ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを
「性接待役」として差し出したのだ。
敗戦直後の満州開拓団たちは、
自分たちの身の安全と食料を確保するために、
ソビエト兵たちに、日本人女性たちを
「性的接待」させるために差し出したのでした。
いずれのケースも、男性たちは自分たちが
生き延びるために、積極的に女性を
犠牲にさえしています。
「男は女はちっとも守らない」ということです。