夫婦別姓を選択しても子どもの名字が
原因で「溝」はできないことは、
理由を示すこともできます。
その理由についてわたしが前に書いた
エントリも、「溝」ができると主張する
反対派にツイッターでご紹介しました。
「夫婦別姓・子の名字でもめない理由」
https://t.co/UJB78LDzej 現在も事実婚や国際結婚で夫婦別姓の家庭はありますが、子どもの名字で溝が生じたという事例はないようです。なぜないか示すこともできます https://t.co/BJLzaq5KRY
— たんぽぽ (@pissenlit_10) December 5, 2020
そうしたらくだんの選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)は妙なことを言ってきました。
わたしのエントリは「価値観が古い」と
主張されているだけで、自分の主張への
反証になるデータはないそうです。
頂いたリンク読みました。これは、私の主張への反証のデータではないですよ。
— 健太郎S (@S68778832) December 5, 2020
「価値観が古い」と主張されているだけで、これで納得しろというのは無理があるのではないでしょうか
リンクしたわたしのエントリでは、
「夫婦別姓を選択する時点で、
子どもの名字のことも決まっている。
それゆえ子どもの名字で『溝』が
できることはない」と理由を述べています。
くだんの反対派(非共存派)の「溝」ができる
という主張への反証になっているでしょう。
この選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は
統計データからの帰納的な主張を
想定していたのでしょうか?
わたしが示したものは演繹的ですが、
それでも実証的な理由ではあります。
わたしがリンクしたエントリでは
「『価値観が古い』と主張しているだけ」
というのは、さらにわけがわからないです。
当該エントリには「価値観が古い」という
趣旨の内容は出てこないからです。
語られているのは、反対派(非共存派)は
名字に無頓着なこと、生活感が希薄で
家族や恋愛、結婚の体験にとぼしいと言われること、
自分の名字に自動的に決まらないから
反対なのではないか、といったことです。
わたしのブログエントリのどこに
「(選択的夫婦別姓の反対派は)価値観が古い」
なんてお話が出てくるのかと思います。
思っていて、それを言われたく
なかったのかもしれないです。
それでくだんの反対派(非共存派)は、
相手は自分が言われたくないことを
言ってきたと思ったのかもしれないです。