というのは選択的夫婦別姓の反対派の
定番の主張(というか偏見)です。
「結婚改姓して親子で別姓になると
親子だと思えなくなるのか?」というのが、
こうした場合の反論のひとつです。
お腹痛めた子に別に自分と同じ姓をつけたいか?まあつけてもいいけど、産んだ私には強固な血の繋がりがあるので、姓にはこだわらないなあ。赤ちゃんが選べるならどちらかを選んで欲しいけど、その性質上無理だしねえ
— 佐藤正子 (@SATOMasako) November 28, 2020
「おちぱく」という反対派(非共存派)が
これにさらに反論をしてきました。
そうそう、だから子どもが結婚して改姓して実家の姓と別姓になっても血の繋がりがあるから問題無いんですよ。
— おちぱく (@yampisun40) November 28, 2020
一方、生まれながらの親子別姓は、地の繋がりを想起させない、血の繋がりを疑わせるんですよね。いくら親には血の繋がりに自信があっても、世間だけでなく、子も、血の繋がりを疑うんです。
「おちぱく」によると、結婚改姓で
おとなになってから親子で別姓になっても、
それ以前の蓄積があるから
親子を意識できるそうです。
親子関係を意識できないのは、
夫婦別姓で結婚したかたたちの子のような、
生まれながらの親子別姓だそうです。
たいていのかたは母親が改姓しているでしょう。
その場合、母方の祖父母と名字が異なります。
「おちぱく」は、生まれながらに別姓となる
母方の祖父母とは、血の繋がりを
想起させなくて疑うのでしょうか?
「パパはパパのパパとママから、
ママはママのパパとママから、みんなわけて
もらったんだ。続いているんだ命って」
というCMソングがあったと思います。
母方の祖父母と生まれながらに別姓でも、
「世間」も「子ども」も
血の繋がりを疑っていないようです。
「血の繋がりを疑っている」のは、
「世間」でも「子ども」でもなく、
「『おちぱく』のような選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)」だと思います。
「おちぱく」は自分の偏見を、
「世間」や「子ども」に投影させないことです。