2020年11月26日

性的な眼で見られることを評価しろ?

「男性の改姓はありえない」とはっきり言った
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)「砂鉄」が、
すさまじいことを言っていました。

女性を広告に使って、性的な眼で見られたら
「人間のあるべき姿を描いている」と
評価することだ、などと言っています。

 


ぜんぜん評価することではないし、
健全でも正常でもまったくないです。

「砂鉄」は痴漢の被害を訴えても、
「痴漢されるうちが華だよ」なんて
言い出しかねないタイプかもしれないです。



「この人とならセックスしてよい」とか、
そこまでいかなくても、「この人となら
性的接触をしてよい」「性的に見られてもよい」と
思えるかどうか、という、性衝動が起きる
生物学的条件があります。

「性衝動の生物学的条件」

女性の場合、つぎの3つ条件があります。
これら3つがそろうと女性は性衝動が起きて
性的接触に積極的になれます。
ひとつでもかけると消極的になります。

1. 自分自身の生活レベルから見てもうひとりの生命を背負って
生きてゆくことが可能かどうかの生活レベル判定です。

2. 相手となる男性の適応度がある程度以上に高いかどうかをもとにした
遺伝子継承可能性についての遺伝子選別(配偶者選択)です。

3. 相手となる男性がその生活をサポートしてくれるか
どうかを判断するための愛情確認です。


広告に登場する女性を性的に見る人(男性)は
不特定多数で、どこのだれかわからないです。
上述の性衝動を起こす生物学的条件の
2.と3.を満たさないことになります。

不特定多数の男性から性的に見られることは、
たいていの女性は忌避感をしめすことが、
「正常」であり「健全」ということです。

かくして広告という媒体によって
女性が性的に見られることなど、
女性としてはまったく評価できないのが
当然ということになります。


posted by たんぽぽ at 22:10| Comment(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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