結婚相手の女性に改姓させたい男性の
「正体」をさらした選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)ですが、
夫婦同姓の強制が定められた経緯についても、
珍説をご披露しています。
なんで夫婦同姓にしたかって、名字を広げる手段を無くして、名字を単なる「便利な識別名」くらいのイメージにすることで、家同士の覇権争いを無くすためですよ
— 砂鉄 (@satetu4401) September 16, 2020
強い苗字、弱い苗字があると、自然と力を求めて家同士が争うようになる。戦国武将は家のために争ったし農民は争わないように名字が無かった
日本で夫婦同姓の強制を民法で
定めたのは明治の後半、1898年です。
当時の日本は欧米諸国と結んだ
不平等条約の解消が重大な課題でした。
「日本で夫婦同姓になった起源」
同姓を名乗れとされたのは明治31年(西暦1898年)。明治も随分進んでから。なんでかというと、不平等条約撤廃のために欧米列強風の法整備が急がれたかららしい。何のことはない、夫婦同姓は伝統でも何でもなく、むしろ儒教由来の同姓不婚の伝統を破って、欧米化するために作られた制度ということだ。
— mipoko (@mipoko611) January 27, 2018
それゆえ欧米風の法整備が必要となり、
ヨーロッパの家制度にならって
女性が改姓して男性の名字を名乗るという
夫婦同姓の強制を定めたのでした。
このヨーロッパからの家制度は、
男性が戸主として君臨し、女性は戸主に
したがい無権利状態にされるという、
ジェンダー差別的なものでした。
このようなヨーロッパの男性中心の家制度は、
当時の日本にとっても、これからの
家族のありかたを決めていく上で
都合がよかったこともあります。
「名字を広げる手段をなくす」とか
「家同士の覇権争いをなくす」といったことは、
日本で夫婦同姓の強制を定めた
経緯にはまったくないことです。
このような名字に関する不可解な珍説は、
「夫婦別姓は血統主義」という、
この反対派(非共存派)の我流の
名字論にもとづいています。
「我流の名字論を展開する別姓反対派」
それゆえかかる珍説を裏付ける史実など、
どこにもなくて当然というものです。