2020年09月18日

覚悟も信念もない夫婦別姓反対派

9月17日エントリの続き。

選択的夫婦別姓の反対派の思考を
「小さい」と評したかたは、
反対派(非共存派)は自分の発言に対する
覚悟や信念がないとも言っています。

彼ら反対派(非共存派)はちょっと
都合が悪くなると、すぐに自分の
ツイートを削除するからです。

 


たいていの選択的夫婦別姓の反対派には
信念なんてないだろうと、わたしは思います。
なぜかといえば、「自分の生活や尊厳が
かかっていないから」です。

他人さまが夫婦別姓を選択したところで、
自分の生活や尊厳には影響がないです。
そんな自分と無関係なことに
多大な信念を持ち続けられる人など
いるはずもないというものです。

「自分となんの関係もない他人のことに
不当に干渉している」という意識も
もしかしたら反対派(非共存派)にも
あるのかもしれないです。

そうだとすれば選択的夫婦別姓に
反対の主張を続ける覚悟や信念は、
なおさら鈍ることになります。


反対派(非共存派)は「家族を守っている」とか
「国家を守っている」とか「日本の伝統を
守っている」とかやたら大きく
出てくることがよくあります。

はては「推進派は個人的なことしか
考えないが、反対派は社会的な
視点で考えるから意識が高い」などと、
おこがましいことを言ってのけたりします。

「社会全体の観点から話すのはだれか?」
「俯瞰した視点に立つのはだれか?」

それくらい社会的に立派なことを
していると本気で思っているなら、
自分の発言をちょっと批判されたくらいでは
削除しないくらいの覚悟と信念は
示してもらいたいものです。

かかる反対派(非共存派)の信念のなさは、
「自分は無関係などうでもいいことで、
他人の生活に不当に干渉している」
という意識の現れもあると思います。


選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)に
覚悟や信念のないことは、2017年の暮れに
青野慶久氏が夫婦別姓訴訟を
起こすことを表明
したあたりから、
反対派の識者が軒並み黙ったことで、
すでに現れていると思います。

「沈黙する夫婦別姓反対派」

著名な反対派(非共存派)諸氏も、
自分たちは「家族や伝統を守っている」とか
意識が高いようなことを豪語していました。
ところが選択的夫婦別姓に反対の
主張をすると不利と見て取ると
しめし合わせたように黙りました。

彼らが本気で「家族や伝統を守って」
「意識が高い」なら、選択的夫婦別姓が実現する
可能性が高まったそのときこそ、
体を張って論陣を張ることだと思います。

それをしないで黙るというのは、
家族や伝統など実は守る気はなく、
自分の保身のほうが大事ということです。
しょせん彼らには、選択的夫婦別姓の
反対の主張を続ける覚悟や信念など
なかったということです。


posted by たんぽぽ at 21:27| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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