議論することに失望したようで、
無駄だと感じるようになったという
推進派のかたがいらっしゃります。
突然失礼します。たんぽぽさんは、マメで根気がありますね。すごいと思います。私は、反対派に掛ける時間が無駄だと悟り始めました。価値観の違う意見を聞くと、自分の思考が広がる経験が今まであったので、反対派の意見も興味を持って聞こうとしましたが、反対派の思考が予想より小さかった。
— ひよこまる (@X2Can3joy) August 22, 2020
反対派の方は、自分のツイートを消されたりしてますが、後で消す必要の出るような無責任な発言なら、最初からしなければいいと思います。消しても構わない程度の、信念の無い主張ばかりに感じます。
— ひよこまる (@X2Can3joy) August 22, 2020
たんぽぽさんには、覚悟と信念を感じています。ささやかながら、応援しています。
「異なる意見を聞くことで自分の
思考が広がる」という当然期待される効果が、
選択的夫婦別姓の反対派との議論では、
ほとんど期待できないという趣旨のことを、
この推進派のかたは言っています。
反対派の思考はそれくらい「小さい」ということです。
わたしに言わせれば、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の議論で、
なにかを得られると思わないほうがいいです。
反対派(非共存派)と議論するのは、
ネットのリテラシーを維持するためであり、
議論を見ている第三者のためであると、
割り切ったほうがいいでしょう。
「差別主義者は放置がよいか?」
a. 差別主義者たちは、自分がだれからも批判されないことで、
「自分はなにを言ってもいいのだ」とフリーハンドを
得たと思って、ますますエスカレートする。
b. 歪んだ意見がネット上に氾濫することで、
適切なリテラシーを持つ情報を見つけにくくなる。
これによって歪んだ意見を信用する人が出てくる。
「差別主義者は放置がよいか?(2)」
A. 議論を見ている第三者に適切な情報を示すこと。
B. 議論によって差別主義者がどんな人か、第三者にわかるようにすること
C. 適切なリテラシーを持つ情報を増やすことで、
歪んだ意見の割合を相対的に引き下げること、
D. 可能ならば差別主義者を批判することで、
差別主義者が自説を展開する自信を削ること
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
歪んだ意見でも、まじめに反証するためには
一定の知識や文章表現力が必要です。
反対派との議論でこれらの技術は高まるでしょう。
直接的な得られることがあるとしたら、
これらだとわたしは思います。
ネットの反対派(非共存派)との議論で
得られた知識や文章表現力は、
議員向けの陳情や行政のパブリックコメントなど、
しかるべきところへの文章を
書くときにも役立つものと思います。
議論をしたところで、直接的に
得られるものはないですね。
得られるのは「ネットのリテラシーが
維持された状態」だと思います。
第三者は「選択的夫婦別姓に関する
適切な情報」が得られるでしょう。
こういう問題もあると思います。
https://x.com/nanatakamatsu/status/1837411947635265747
「ふだん選択的夫婦別姓について
発言しないかたが、ネットで嫌がらせをされず、
安心して発言できる環境」の保全です。
そういうことになると思います。
情報発信の目的は、聞く耳のある第三者に
適切な情報を提供することです。
反対派(非共存派)に関しては、
「どんな根拠や事実をしめされても
決して考えを変えないがんめいな人たち」
ということが、第三者にわかるように
することだと思います。