強く反対しているかたのところに現れた
「四条烏丸=烏丸蛸薬師」は、
「たんぽぽはただ議論したいだけだから
相手すると不毛だ」などと言っています。
たんぽぽと議論しても意味ありません、不毛です。たんぽぽはただ議論したいだけなんですよ、無視しましょう
— 烏丸蛸薬師 (@ExdBbl8pGTyZDwL) July 20, 2020
わたしは「ただ議論したいだけ」ではないです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)との
議論なんてあまりしたくないくらいです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
ツイートにわたしが反論するのは、
ネットのリテラシーを維持するためです。
「差別主義者は放置がよいか?」
a. 差別主義者たちは、自分がだれからも批判されないことで、
「自分はなにを言ってもいいのだ」とフリーハンドを
得たと思って、ますますエスカレートする。
b. 歪んだ意見がネット上に氾濫することで、
適切なリテラシーを持つ情報を見つけにくくなる。
これによって歪んだ意見を信用する人が出てくる。
「差別主義者は放置がよいか?(2)」
A. 議論を見ている第三者に適切な情報を示すこと。
B. 議論によって差別主義者がどんな人か、第三者にわかるようにすること
C. 適切なリテラシーを持つ情報を増やすことで、
歪んだ意見の割合を相対的に引き下げること、
D. 可能ならば差別主義者を批判することで、
差別主義者が自説を展開する自信を削ること
反対派のツイートを放置すると、第三者の眼には
その反対派の主張だけ触れることになります。
そしてその第三者は自分が見た反対派の主張を
信用することになりかねないです。
それゆえ、その反対派(非共存派)の
主張に対する反証や反論を近くに置くことで、
第三者が両方を見て自分で
判断できるようにするということです。