2020年07月08日

「言った」証拠がないから「そう見える」

7月3日エントリの続き。

岡村隆史氏の「風俗嬢」発言を批判する
一連の議論において、わたしは風俗で働く人を
見下すといった価値判断は入れていないです。

岡村隆史氏の発言を批判する
ほかのかたたちも同様でしょう。
これは何度も確認をしていることです。

 

そこへ岡村隆史氏を擁護する「まさまさ」が
「風俗で働く人を見下しているように見える」
「受け取り手はそう感じる」と言ってきました。


「見下していると言った」証拠が見つからないので、
「見下しているように見える」
「見下していると感じる」と言い出す戦略に、
「まさまさ」は出たようです。


「自分にはそう見える、そう感じる」と言って
強弁を続けるなら、どんな言いがかりでも
正当化できるようになるでしょう。

事実や根拠にもとづく必要がないので、
どんなおかしな見えかたや感じかたでも
自由自在に主張できるからです。


「そう見える」「そう感じる」と
わたしに対して主張するなら、
わたしのどの発言がどのような理由で
そう見えたり感じられたりするのか、
もっと具体的に指摘する必要があるでしょう。

自分ひとりで見えたり感じたりしているのではなく、
自分の見えかた、感じかたを、主張する本人に
納得してもらおうとしているからです。

「まさまさ」はわたしの主張内容を
否定していると言えます。
それゆえなおさらなぜそう見えたり感じたりするのか、
具体的に示す責任があると思います。


posted by たんぽぽ at 23:14| Comment(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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