2020年04月25日

王権神授説だけでない神聖政治

選択的夫婦別姓の反対派「Pちゃん」が
理想とする「神聖政治」は理想でないことを
示す例として、「王権神授説」があることを、
わたしは4月5日エントリでお話しました。

「神の統治ということにする為政者」

 
王権神授説については、わたしはツイッターでも
「Pちゃん」に直接言いました。


「Pちゃん」は「とち狂っているフランス人を
基準にしている」などと言ってきました。



フランス人を基準にはしていないです。
王権神授説はフランスが発祥ですが、
イングランド王も同様の説を唱えています。
フランスに固有というわけではないです。

「王権神授説」

イギリスでは17世紀のステュアート朝
チャールズ1世に仕えたフィルマーは、
王権を『旧約聖書』で人類の祖とされる
アダムに由来する家父長権であると論じ、
王権神授説を正統な王権の根拠とした。

当時の西欧キリスト教世界の王様
(スペイン、オーストリアなど)は、
だれもみんな王権神授説を
唱えたかったのではないかと思います。

イングランドとフランス以外は、
国力が衰えていたり王権が弱かったりして、
王権神授説を主張できなかった
ということだと思います。


王権神授説だけが「神聖政治」ではないです。
政治に宗教が深く入り込んだ政権は、
世界中のいたるところにありました。

「政教不分離の最悪の国家」とマルクスが
名指ししたビザンティン帝国もそうでしょう。
イスラム帝国やロシアのツァーリズムも
「神聖政治」と言えると思います。

戦前の日本も天皇という現人神が統治する、
政治と宗教がわかちがたく結びついた
「神聖政治」だったと言えます。



政治と宗教が密接な関係にあった
「神聖政治」なんて、近代以前は世界中の
いたるところがそうだったと言えます。

これらの「神聖政治」の体制だった国家が
理想的な統治を行なっていたかと言えば、
そんなことないのは言わずもがないです。


posted by たんぽぽ at 15:53| Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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