2020年04月13日

調査するのは夫婦別姓の家庭の子ども

前のエントリの続き。

選択的夫婦別姓の議論に子どもの視点が
登場しないと不満の反対派(非共存派)に、
わたしは「それならあなたが子どもの視点の
事例を把握して、積極的に議論に
登場させればいい」と言いました。

 

そうしたらくだんの反対派(非共存派)は、
「夫婦別姓で問題がある」という
「子どもの視点」を登場させました。


リンクをたどると2010年8月12日の
「法教育フォーラム」というサイトでした。
以下の箇所について触れたようです。

「NHK「特報首都圏」“選択的夫婦別姓制度”~法教育素材の紹介2」

「子どもの心を不安定にしないか」という
意見の女性も番組に登場しました。
その女性の小学4年生と2年生の子ども達が
それぞれ、父親と母親の名字が違ったら
「寂しい」「恥ずかしい」「不安な気持ちがする」
などと言っていました。


この女性は夫婦同姓の家庭ではないかと思います。
そういう子どもたちに夫婦別姓に
ついて聞けば、自分の親があるとき
きゅうに夫婦別姓になると考えて
違和感を持っても無理もないと思います。

これは産まれたときから夫婦別姓の家庭の子に
聞かないと、あまり意味がないと思います。
ものごころついたときから夫婦別姓の
家庭にいるから、それを当然と思う
というのがポイントだからです。


「心の教育・女性フォーラム」という、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
団体が行なった2001年の調査も、
まさにおなじことをしています。

「別の調査」

この調査は6割以上の子どもたちが
夫婦別姓を嫌がったとしています。
ところが調査対象の子どもたちは
夫婦同姓の家庭が大半であると考えられます。

産まれたときから夫婦別姓の家庭を選んで
調査対象にはしていないようです。


「法教育フォーラム」の記事に出てくる
女性は実際に夫婦同姓だと思います。
いくら「夫婦別姓に問題がある」と
思ったところで、夫婦同姓を選択することで、
解決しているということです。

記事の女性のかたに夫婦別姓にしろと
言っているのではないです。
そのような人に、夫婦別姓に問題があるかどうか、
意見を聞く意味はないことになります。

問題になるのは「夫婦別姓で問題があると
子どもは思っているのに、なおその家庭は
夫婦別姓を続けている」というケースです。

そんな家庭は存在するとしたら
必然的に「夫婦別姓の家庭」です。
よって意見を聞く意味があるのは、
「夫婦別姓の家庭の子ども」になります。


posted by たんぽぽ at 22:47| Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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