選択的夫婦別姓の問題の核心は、
「他人の自由を制限してよいかだ」という
わたしのブックーマークにリプライした
反対派(非共存派)は、もうひとりいます。
"議論の出発点は、「夫婦同姓が良いか、夫婦別姓が良いか」ではなく、「夫婦別姓を望む人の自由を制限してまで夫婦同姓を強制して良いか」という点" / “選択的夫婦別姓を実現するために 変えるべきものを変えられる社会に:山陽新聞デジタル|さんデジ” https://t.co/BUCkSCUSiM
— たんぽぽ (@pissenlit_10) March 30, 2020
"夫婦別姓を望む人の自由を制限してまで夫婦同姓を強制"
— 筑後守 (@turbo0421) March 30, 2020
互いに譲り合いたくない人同士は事実婚があります。制限はしていない。別姓の法律婚という選択肢を増やせという主張は、結果の平等を求めているだけの話で、選択の自由の話じゃない。平等と主張すると左翼っぽく見られるから自由を使うという😩
この選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
「結婚改姓できない人どうしには
事実婚がある」などと言っています。
ここでは「結婚改姓できない人どうしで
法律婚をする自由」を問題にしています。
よって事実婚がいくら自由でも、
法律婚をする自由がなければ、
「自由を制限している」ということです。
現在の日本の民法は夫婦同姓が強制され、
夫婦別姓の選択肢がないです。
夫婦別姓で法律婚ができないということは、
結婚改姓できない人どうしで
法律婚をする自由はない」となります。
このような「自由」を制限しているのは、
日本の民法に夫婦別姓の選択肢を
加えることに反対する人たち、
つまり選択的夫婦別姓の反対派です。
事実婚は法律婚にくらべて
認められる権利がかぎられることは、
言うまでもないことだと思います。
「読めば読むほど事実婚でふじゅうぶん」
それゆえ事実婚ではふじゅうぶんで、
夫婦別姓で法律婚できる
「自由」が必要になってくるし、
夫婦別姓で法律婚できないことは、
「自由を制限している」わけです。